ブログ:「悪」に手を貸す
多くの人は
「悪」には手を染めたくないと
思っていることでしょう。
しかし会社や組織の中では、
意に反してそのようなことを
せざるを得ない場合もあり、
良心の呵責や葛藤がありながらも、
仕方ないことと自分に言い聞かせ、
してしまうということは
前回お話ししました。
これが会社や組織ではなく、
国や政府であった場合はどうでしょうか。
その場合は、会社のように直接上司から
命令されるわけではありませんが、
新たな法律が作られたりすることで
暗に命令に従わざるをえない状況に
しむけられます。
もちろん、国が間違ったことを言ったり、
不正を働いていないのであれば、
法律はルールとして必要なことですので
これは悪いことではありません。
しかし国を動かしている
政府や役人もすべて人間であり、
一般の会社や組織と同様に
様々なしがらみや利害関係があるので
話しはそう単純ではないのです。
もっともわかりやすいのは中国の場合です。
皆さんもご存じのように
中国では、国家安全法のもと、
政府に対する抗議活動や批判行為をすれば
逮捕されます。
そんなのはおかしい、
間違っていると思っても
逮捕されたくなければ、
その考え方を受け入れるしかないのです。
もちろん、悪を正す!
正義のために俺は立ち上がる!と言って、
行動を起こすことも可能です。
その場合は、逮捕や拷問、
最悪、命を狙われる覚悟をしなければ
なりません。
そんなリスクを冒すくらいなら、
はい、わかりましたと素直に受け入れ、
自分や家族が不利益を被ることを
避けるのを一番に考える人が
大半だと思います。
やはり国家のような巨大権力には
そう簡単にははむかえないのです。
中国は独裁国家だから、
そんなことが起こってしまうのであり、
日本のような民主主義の国では
そんな極端なことはないと
思っている人も多いかと思います。
でも、そんなことはありません。
現に日本でもコロナ渦において
緊急事態宣言が発令されたときは
居酒屋やパチンコ屋の営業は
自粛を求められました。
通勤ラッシュの満員電車は
いつも通りであるにもかかわらず
居酒屋やパチンコ屋は
営業の自粛を求められ、
それにより多くのお店が潰れました。
経営者からすれば死活問題ですが、
酒もパチンコもしない人からすれば
自粛も仕方ないと考えるかもしれません。
このような過剰な規制に関しては
賛否両論ありますが、
いずれにせよ、
受け入れざるをえない状況に
追いやられることになります。
ただ日本国民の大半は、
そのようなことが起こっても、
さほど問題なく生きていけるので
国の考え方を受け入れていれば
まあ、いいんじゃないのと
思っていると思います。
でももしその考えが
「悪」に手を貸していることに
なっていたならば
皆さんはどう思いますか。
私たちは経済発展が前提である
資本主義社会に生きています。
ですから、会社や企業はどんどん儲けて
どんどん成長していく必要があります。
そのためには、
いかにたくさんの商品を売り
いかに国民に買いたいと思わせるか、
日々、悪戦苦闘しているのです。
私たちは何のためらいもなく
パソコンやスマホを使い、
車で通勤しコンビニで肉を買っています。
しかしこれらの商品を作るにあたり、
どれだけの人たちが
過酷な労働を強いられているか、
どれだけ環境が破壊されているかは
ほとんど意識されることはありません。
その詳細に関してはブログ
「経済成長と自然破壊」および
「成長から「脱成長」へ」をご覧下さい。
要するに、すべては経済発展や成長のために、
多少の犠牲は目をつぶるという考え方です。
それがいけないと言うのなら、
スマホも使えないし肉も食べられないし、
第一このブログだって
パソコンを使って書いているだろ!と
お叱りを受けそうですが、
まさにその通りです。
私が言いたいのは
なにもパソコンや車は使うなと
言っているわけではありません。
そうではなく、
経済成長が絶対という前提の世で
生きている私たちは、
この考え方に何ら違和感を覚えないほどに
完全に洗脳されてしまっているという現状が
問題だと言いたいのです。
ただし、私のような危機感を感じながら
微々たる抵抗を続けている人は少数派であり、
ほとんどの人は、
そんなことは全く意識せず、
ごく普通に日常生活を送っています。
つまり、知らず知らずのうちに
格差を広げ、貧しい人たちを酷使し、
環境破壊に手を貸しているのです。
しかし、その事実に気づいたとしても、
そこから抜け出すことができない世の中に
私たちは生かされているのです。
それは間違っている!と思っていても、
生活をしていくためには
現実を受け入れ、
「悪」に手を貸し続けなければ
やっていけない状況に
追いやられているのです。
私は今、この矛盾に直面し、
大いに悩んでいるのです。