ブログ:「受け入れざるをえない」ということ

前回は、第三者としてかかわる場合は、
相手の思いを受け入れるか否かは
自分で判断することが
できるという話しをしました。

しかし、ほとんどの人が
会社や組織の中で生きており、
自分の思いや考えに従って、
相手を受け入れるか否かを決められるほど
世の中は単純ではありません。

会社の場合、
経営方針が打ち出され、
それに従って従業員は働くことになります。

多少の意見の違いや、
しっくりこないところもありながらも、
生活をしていくためには
働かざるを得ません。

ただこの程度であれば、
会社のため、自分の経験のためと思って
受け入れることは可能でしょう。

では、会社や組織が
不正を働いていることを知ってしまった場合
あなたはそれに手を貸すでしょうか。

社長や部長の命令であった場合、
それを拒否するのは
なかなか困難なことだと思います。

例えば、脱税目的で裏帳簿の作成を
命じられるという場合です。

またビックモーターの
不正請求や水増し請求などが
ニュースになっていましたが、
そのようなことをせざるを得ない圧力が
この会社にはあったのではないでしょうか。

このような場合、
明らかに受け入れるべきではないと
わかっていても、
それを拒めば自分の立場が危うくなり、
最悪の場合、
職や収入を失うことになります。

誰もが生活のため、家族を養うために
仕事をしている側面があるので、
かりにそれが「悪」だとわかっていても、
受け入れざるを得ないこともあります。

自分よりも強い立場の人間や組織から
圧力をかけられると、
嫌でも命令に従わざるを得ない状況に
いるのが私たちなのです。

会社のためだと
自分に言い聞かせたとしても、
それが犯罪行為や
誰かに迷惑をかけるようなことであれば
当然、ためらいます。

これが第三者の立場であれば、
はっきりと「それはダメ!」と言えますが、
自分自身が当事者として
その中に組み込まれている場合は、
断るに断れないものです。

その結果、自分が犯罪人になってしまったり
お客さんに不利益を与えてしまう加害者に
なるのです。

ただし、これらもうまく隠し通せれば
何もなかったことにできるでしょうし、
実際、大なり小なり、
ほとんどの会社や組織は
うまくやっていると思います。

このように会社や組織では
第三者ではなく当事者として
受け入れるか否かを判断しなくてはならず、
当然いろいろな思いや利害が交錯するため
本当は受け入れるべきではないと
思いながらも、
受け入れざるをえないということが
起こりえるのです。

もちろん、不正や犯罪の場合であれば
正義感のある人は職を辞してでも
悪には手を染めないという強い意思のもと
頑として受け入れないという行動を
取ることは可能です。

しかし実際は、
そこまでの強い正義感を持っている人は
そう多くはないと思います。

では不正や犯罪とまではいかないまでも、
明らかに自分の意に反することを
するようにと命じられた場合は
どうでしょうか。

例えばワクチン接種などがそうです。

ワクチン接種は絶対正義と位置づけられ
ワクチンを打たないのは
非国民であるかのような
言われ方までされました。

ところが専門家の間では
最初から非常に危険であることが
指摘されていました。

実際、ワクチンを打った方が
かえってコロナに感染する率が
高くなることが明るみに出たため
世界中ではワクチン接種の推奨を
やめてしまいました。

にもかかわらず、
様々な組織や医療現場では
ワクチンハラスメントが起こり、
任意であるはずのワクチンを
半強制的に打たされていた現実があります。

ワクチンを打ちたくないと思っていても
打たなければ職を追われたり、
周囲の人から
白い目で見られる可能性があるため
自分の意に反してでも
打たざるをえなかったという人は
たくさんいたのではないでしょうか。

幸い私の病院は
そのようなことはありませんでしたので、
その意味ではとてもよい病院だと思います。

このように、
会社や組織の中で生きている私たちは
自分の意に反することであっても、
弱い立場であるがゆえに、
圧力や権力には逆らえず
長いものには巻かれろと言い聞かせながら
相手の意向を受け入れざるをえないのが
現実なのです。

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