ブログ:なぜ信頼性のない論文が量産されるのか

私たちは科学論文に書かれていることは
真実だと思っていますが、
実際にそうではないということを
先週お話ししました。

今回は、どんな医者や研究者でも
知らず知らずのうちに陥る
不正についての話しです。

この「知らず知らずの不正」が
いかに多いのかには驚かされるばかりです。

今回もスチュアート・リッチー著、
「あなたが知らない科学の真実」
(ダイヤモンド社)から
お話しをさせていただきます。

この本を読んで、
多分一番多いと思った不正は
「p値ハッキング」です。

これについて簡単に説明します。

研究者は集めたデータを処理し、
最初に設定した仮説が
正しいと言えるか否かを検討します。

その際に重要になるのは「p値」です。

詳しいことは省略しますが、
ここで知っておいてもらいたいのは、
データを統計的に分析した結果、
p値が0.05よりも小さければ、
当初の仮説が裏付けられたことになり、
結果が0.05以上であれば、
その仮説には説得力はないということになる
ということです。

ですから研究者は
「p<0.05」という結果を出すことに
とてもこだわるのです。

ところが結果が、
ジャスト0.5や0.51だったりすると
惜しくも残念な結果になったと
いうことになります。

p値に関しては
今年2月12日のブログ
『「科学的」は全然科学的ではない!』にも
書きましたので、
興味のある方はそちらもご覧下さい。

では本題に入ります。
とにかくp値が0.05未満になることに
研究者は必死になります。

ただデータ処理をして
統計的に解析するだけなので、
データを改ざんしない限り、
p値は変わらないのではと
思うかもしれませんが
実際はそうではありません。

例えば試験の合格点の場合、
60点から59点に下げることで、
合格者を増やすことはできます。

また点数ではなく偏差値で
合否を決めたならば、
当然合格者の顔ぶれは変わります。

さらに、試験を何回も行ない、
もっともよい結果が出た試験だけを
データとして
採用するということもできます。

p値に関しても、
統計的処理の仕方を工夫したり
データをまとめる基準値を変更することで
0.05を下回らせることが
十分に可能なのです。

また、このデータさえなければ
0.05未満になるのにと思った場合、
そのデータはなかったことにするとか、
もう少し新たなデータを
付け加えるということをする人もいます。

このようにいろいろな工夫をすることで
p値を0.05未満にすることを
「p値ハッキング」と言います。

実際、2000人以上の心理学者を対象に
p値ハッキングをしたことがあるかと
質問したところ、
40~65%の人があると答えています。

ただし、研究者はp値ハッキングをしても
それが非倫理的な行為だという認識は
ほとんどありません。

自分の仮説を検証するにあたり、
それが正しいと信じているならば、
なんとかして認められる結果を
導きたいと思うのは
ごく普通の感覚だからです。

また「お金」もp値ハッキングを
後押ししている可能性があります。

調査によると、
登録された医療的試験の3分の1以上が
製薬会社の資金提供を受けていました。

また、企業から資金提供を受けている研究は
よい結果を報告しやすいということも
わかっています。

逆に、資金提供を受けている研究は
そうでない研究よりも
お蔵入りになるものが多いことも
知られています。

よい結果が出なかった場合は
あまり知られたくないため、
その研究結果は表には出さず
闇に葬ってしまうということです。

このように資金援助の存在が、
「p値ハッキング」や「出版バイアス」を
助長している可能性は否めません。

実はもっと大きなレベルで行なわれている
知らず知らずの不正も
厳として存在しています。

それが権威や権力です。

例えばアルツハイマー病の原因として
アミロイド仮説というものがあります。

脳にアミロイドが溜ることが
アルツハイマー病の原因だという仮説です。

ところが多くの研究で、
この仮説は間違っていると言われています。

一方、この仮説は
論文の掲載をするか否かの決定権がある
教授などに多く支持されており、
仮説に疑問を呈するような論文は
査読で切り捨て、
論文に載せないようにしているということが
まかり通っているのです。

このようにして権威や権力により、
論文の掲載が左右されることも
十分あり得ることなのです。

これはコロナワクチンの危険性を訴えたYouTubeが
ことごとく削除されたのと似ているなと
思いました。

人間が関与する限り、
このような不公平をゼロにすることは
不可能です。

なぜならば、研究者個人の願望や
政治的な偏向、経済的な圧力といった要素は
すべて無意識レベルで働く力であり、
当事者は間違っているという自覚がないことが
ほとんどだからです。

本来科学は公平で正しいものでなくては
ならないのですが、
このような要因が働くことで、
公平性や正しさがしばしば失われます。

このような過程を経て作成された論文が
科学の進歩の基になっているのです。

そうだとしたならば
科学はわれわれを間違った方向に
導いている可能性もあるということです。

なんとも悩ましい現実ではないでしょうか。

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