ブログ:「科学的」は全然科学的ではない!
医学の世界は日進月歩であり
毎日、何百本(何千本?)の論文が
世に送り出されています。
もちろんレベルや質の違いはありますが、
世界中にいる多くの研究者が引用するような
優れた論文もたくさんあります。
それらの論文が十分に信頼に足るものかを
判断するためには、
科学的根拠(エビデンス)があることを
しっかりと示す必要があります。
ここで言う
「科学的根拠がある」とは
どういうことでしょうか。
例えば新薬Aの有効性を
科学的に証明したいとします。
そのためにはプラシーボ
(乳糖など全く薬効がないもの)と比較して
統計的に「明らか」に新薬Aの方が
有効性が高いことを示す必要があります。
そのさい、有効性があるか否かを分ける
とても重要な基準値があります。
それが5%(p<0.05)という数字です。
これは試験で合否を決める場合、
60点以上なら合格、
59点以下なら不合格とした場合の
60点のような基準になる数字のことです。
詳しい話しは省略しますが、
要は新薬Aとプラシーボの
有効性に関するデータを統計的に比較して
そこに「明らかな差」があるかどうかを
見るわけです。
もし明らかな差があれば
新薬Aには有効性があると判断され、
そこではじめて
科学的根拠があると
胸をはって言いえるのです。
先ほども言ったように、
そのときに重要になってくるのが
5%という数字です。
結果が5%よりも小さければ
有効性ありとなり、
5%以上であれば
有効性はないと判断されます。
ですから4.999%なら有効性あり、
5%ちょうどだと有効性なしという結果に
なってしまうのです。
つまり、0.001%の違いで
天と地の差があるのです。
これは入試と同じで1点の差で
合格か不合格が決るのと同じです。
ではここまで絶対視されている
5%という基準は
どうやって決められたのでしょうか。
医学的研究において
薬や治療が有効か否かを左右する
とても重要な数値ですので、
さぞかし厳密な過程を経て決められたものだと
思われるかもしれません。
しかし実際はそうではありません。
とりあえず5%にしようかということで
決められた数字なのです。
一説によると、
統計学のお偉いさんが
5%にしたらいいんちゃう、ということで
決まってしまった数字だそうです。
つまり、
科学的根拠の有無を判別する
極めて重要な基準となる5%という数字は、
誰がどのように決めたのかすらわからない、
何ら科学的根拠がない数字だったのです。
もしもこのお偉いさんが、
4%にしようと言っていたら、
4%になっていたのです。
そうなっていたならば、
この世にある薬や治療法の
一部は有効性が否定されることになり、
それらは今世の中に
なかった可能性があります。
サプリメントや代替療法には
科学的根拠がないから
信じられないという医者は結構います。
そんな医者は、
水戸黄門の印籠を誇示するかのように
「有効だという科学的根拠はあるのか!」
「エビデンスはあるのか!」
などといいます。
私から言わせれば、
科学的根拠の根拠となる5%という数字には
何ら根拠がないんだから、
錦の御旗を振りかざすかのような
そんな言い方はやめて欲しいと思うのです。
そうは言っても、
世界的に5%と決ってしまった以上、
この基準に基づいて有効性の有無を
判断していくしかありません。
その際問題となるのは、
0.001%といったほんの僅かな違いで
有効性がないという結果が
出てしまった場合です。
大学で点数が1点足りないために
留年しそうな学生の場合は、
教授に泣きついてお願いすれば、
なんとかなるかもしれません。
しかし、研究データの分析結果は
そういうわけにはいきません。
製薬会社の場合、
この0.001の差で
その薬は世に出せるのか、
新たに追加した効果が
認可されるのかが決まります。
それが何百億という利益を得られるのか
損失になるのかに直結するため
まさに死活問題なのです。
そのために、
統計的手法の知識をフルに使い、
なんとか5%未満にしようとするのですが、
その努力もむなしく
結果が出ないこともあります。
当然、そのときはあきらめるべきですが、
ほんのわずかな差であればあるほど
そう簡単にはあきらめられません。
そのため、中にはデータを改ざんし、
なんとか結果を5%未満にし、
有効性ありという結果を出そうとする
研究者もいます。
このような論文の不正が見つかり
教授が大学を解雇されたというニュースは
時々、目にします。
以前、降圧剤の「ディオバン」が
データの改ざんをしていることが発覚し
社会問題になりました。
そこまでしてでもなんとか結果を出したいと
こだわっているのが
5%という数字なのです。
科学的根拠があるという保証を得るために
科学的根拠のない5%という数字に
研修者の皆さんは翻弄されているのです。
そう思うと
科学的根拠とは一体何なのかと、
考え込んでしまう私でした。