ブログ:スピリチュアルケアあれこれ

日本死の臨床研究会の中で
もう一つ面白かったのは
「日本人の中のスピリチュアルケアとは」
というシンポジウムです。

一般の方々にとっては
スピリチュアルケアって何?ということに
なるかもしれませんが、
緩和医療の世界では
よく使われるごく普通の用語です。

簡単に言うと、
「どうして私が‥」
「なぜこんなに苦しまないといけないの」
「死にたくない、なんとか助けて欲しい」
といった心の叫びや苦悩に対するケアが
スピリチュアルケアです。

このような苦悩には、
単純な対処法や解決方法が
あるわけではありません。

そんな苦悩に対して
どのように対応したらよいのかを
考えないといけないところに
スピリチュアルケアの難しさがあります。

当日は、
キリスト教、仏教、神道の立場の演者と
宗教とは関係ない人の、
合計4人の演者の講演がありました。

スピリチュアルケアというと
宗教家が専門に行なうものなのかと
思われるかも知れませんが、
そうではありません。

でも、宗教家の方々は
スピリチュアルな世界や考え方に
詳しいので、
何か参考にはなるのではということです。

それにしても立場が違うと
考えていることも全く違うものです。

まずキリスト教の立場から。

人は大いなるものに守られなければ
生きてはいけない存在であり、
誰もが無意識のうちに
神秘的なものに癒やされよう、
頼ろうとする思いがあるというのです。

大いなるものとは、
もちろん神でも仏でも大自然でも
サムシンググレートでも
何でもかまいません。

そのことに覚醒したとき、
人は困難な状況をも乗り越える力が
発揮できるようになります。

そのようなことに
目覚め、気づいてもらうようなかかわりが
スピリチュアルケアだというのです。

一方、仏教的な立場では
人は苦しみに満ちた世界で生きており、
それとどう向き合うか、
その答えを探し求める者を援助するのが
スピリチュアルケアだというのです。

よくわかりませんが、
無常や苦と向き合いながら、
すべてはつながりであり縁だということを
理解してもらえるようなサポートが
大切だということでしょうか。

また神道の立場だと、
人の魂には四つの側面、
つまり荒魂・和魂・幸魂・奇魂があり、
その時々により変わるというのです。

その魂を癒やすのが
自然によるケアと人によるケアです。

難しいことはよくわかりませんが、
祭りと歌もスピリチュアルケアとは
切っても切り離せないものだと
言っていました。

以上が、各々の宗教の立場からの
スピリチュアルケアの話でしたが、
正直言って、
わかったようなわからないような話でした。

宗教家の方々の話は、
どうしても思想的、哲学的に
なりがちだなというのが私の印象です。

最後は、山崎章郎先生の話でした。

山崎先生のことは
以前もこのブログに書きましたが、
5年前に末期の大腸がんと診断されました。

そこから試行錯誤をした結果、
「がん共存療法」という
独自の治療法にたどり着き
現在、この治療法の有効性を示そうと
治験を続けている先生です。

今回、元気な姿で
舞台に立たれている姿を見て
嬉しく思いました。

その山崎先生は、
以前からスピリチュアルケアに
関心を持っており、
宗教の立場にとらわれない
スピリチュアルケアを実践しています。

山崎先生は、
自己と他者との関係性を見直し、
真によりどころとなる他者を見出すのを
サポートするのが
スピリチュアルケアだと言っていました。

それが人であるなら、
自分の話を傾聴してくれる人や
身体的、精神的苦痛に
対処してくれる人であり、
これらすべての人が
よりどころとなる他者になります。

もちろん、この他者という存在は
人である必要はなく、
宗教でも自然でも趣味でも
何でもよいというのです。

要するに、
その人なりのよりどころが見出され、
苦悩を抱えながらも
穏やかな気持ちになれるものはすべて
スピリチュアルケアだということです。

これは私の考え方に近いと思いました。

私はスピリチュアルケアを
究極的な安らぎをもたらすものだとは
考えていません。

宗教家の人たちが言っていたような思いに
なれるのであれば、
それはそれでよいのです。

でも、凡人はなかなかそうはいきません。

そんな凡人であったとしても、
傾聴でもアロマセラピーでも、
はたまた代替療法で希望をつなぐでも、
何でもよいのでその瞬間、その瞬間が
少しでも癒やされたり
穏やかな気持ちになれたならば
そのすべてのかかわりが
スピリチュアルケアになりうるというのが
私の考えです。

ですから、
死になくない!と言い続けていても
いいのです。

そんな人が、
ほんのわずかであったとしても
穏やかな時間を作ることができたならば
それがスピリチュアルケアなのです。

最後に山崎先生は、
自分にとっての真のよりどころとは
死後の世界の存在の確信だと
言っていました。

死後の世界の存在が確信できれば
確かに死への不安や恐怖は
なくなるというのも納得できます。

なお、私のスピリチュアルケア論を
もう少し詳しく知りたいという方は
平成28年6月2日のブログ
「スピリチュアルケアについて」
お読みいただければと思います。

    ブログ:スピリチュアルケアあれこれ” に対して2件のコメントがあります。

    1. よしみん より:

      先生いつも心に響くブログをありがとうございます。H28年のブログも読ませていただきました。まさに私が悩んでいた時とリンクしました。以前末期の患者様の訪問マッサージをさせていただいていた時にとても無力感を感じていました。でも先生のブログを読んで、リアルにその時読んでいたらかなり救われていたと思います。でも今この記事を読むことができて少し救われた気持ちになりました。ありがとうございます。

    2. holicommu より:

      スピリチュアルケアの考え方はいろいろです。
      多少なりとも楽になったならばよかったです。

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