ブログ:「生まれ変わり」はある?
みなさんは「生まれ変わり」を信じますか?
私は「信じたい」と思っています。
「信じたい」と言ったのは、
生まれ変わりが存在するか否かは
立証不能な命題なので、
あるともないとも言えないため、
私の願望を言ったまでのことです。
哲学者のカール・ポパーは
科学と疑似科学の違いは、
間違っていることが
証明できるか否かだと言います。
つまり、ある仮説が「間違っている」と
証明できる(反証可能)ものは「科学」であり、
証明できないものは科学とは言えない
ニセ科学だというのです。
例えば、「すべてのカラスは黒い」が
真実か否かを知ろうとする場合、
もしも白いカラスが見つかれば、
これは否定されます。
つまりこの命題は反証可能なので
科学として扱えます。
一方、
「生まれ変わりは存在する」については
どうでしょうか。
生まれ変わりの実例と言われるものが
昔から世界中でたくさん報告されていますし
アメリカの精神科医である
イアン・スティーヴンソン博士も
世界中を調査して、
前世の記憶を持つとされる
子どもたちの事例を600以上
集めています。
私も30年以上前ですが、
「前世を記憶する20人の子供」をはじめ、
様々な生まれわかりに関する本を読み、
生まれ変わりの存在を
確信したものでした。
しかし、ポパーの考え方からすると、
これは反証不能な命題なのです。
つまり、
生まれ変わりが存在「しない」ことは
決して実証できないことだからです。
先ほどのイアン・スティーヴンソン博士の
グループは今も調査を続けており、
世界十で2300以上もの症例を
集めています。
中には、殺された人がすぐに生まれ変わり、
前世で自分を殺した犯人を
「前世の自分を殺したのはこの人」だと
裁判で証言し、
様々な証拠からそれが認められ、
犯人が捕まったという例もあります。
このような実例をみると、
実際に生まれ変わりがあるのではと
思ってしまいます。
しかし現実には、どこまでいっても
仮説の領域を越えられず、
結局は、その人が信じるか否かの
世界なのです。
前世療法も同様です。
本人が前世○○であったということを
思い出したとしても、
実証もできなければ反証もできません。
要するに、こういう現象に関しては
神や魂、死後の世界や前世の存在と同様、
解釈や信念の領域になってしまうのです。
生まれ変わりが
あると思っている人にとっては
存在しますし、
ないと思っている人にとっては
存在しないのです。
そうであれば、
自分の都合のよいように
理解、解釈したらいいのです。
私は映画でも小説でも
前世や生まれ変わり、
過去にもどるという話が結構好きです。
先日も、汐見夏衛著の小説、
「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」
「あの星が降る丘で、君とまた出会いたい」
を読みながらずっと泣いていました。
女子高生受けしそうな恋愛小説で、
要は、生まれ変わって
愛する人と再会するというストーリーです。
自分でもよく分からないのですが、
どうしても前世ものや過去に戻る系には
惹かれてしまうんです。
(ただし未来に飛ぶのは嫌いです)
そうかと言って、
今の妻や子供たちが、
前世で自分とどのようなつながりが
あったのだろうかなどといったことは
全く考えたことはありません。
まあこれは、デジャブ体験のような、
もしかしたら前世で‥などと
思わせられるようなことが
何もなかったからだと思います。
また以前は、
人は何かしらの役割や使命があって
生まれてくると思っていました。
もちろん自分も医者になった頃くらいまでは
本気でそう思っていましたし、
だからこそ医者になれたところもあります。
しかし40代、50代になるにつれ
そのような思いは薄れはじめ、
60代になった今は、
自分もごく普通の人間の一人に過ぎないと
思うようになりました。
現実が見えてきたということです。
でもまあ、それはそれで
いいじゃないですか。
肩肘を張り、自分や絶対にやる!
といった思いで人生を突き進むのも
若い頃には必要だと思います。
でも、ある程度年を取り、
現実が見えてきたら、
今度はそれに合わせた生き方を
考えていく必要があると
最近は思っています。
生まれ変わりにせよ、
役割や使命を持って生まれたにせよ、
自分にとって都合がよいのであれば、
それを信じて生きていけばよいのです。
そのような信念や思いは、
自分の行動や人生に
少なからず影響を与えることでしょう。
現世で、つらい人生を送っている人は
前世での罪滅ぼしをしているので、
来生はよい人生になると思えるからこそ、
今のつらさを乗り越える原動力にも
なるのです。
自分には医学界に
変革をもたらす使命があるという
思い込みがあったからこそ
二浪しても医学部に入れたのです。
そんなことを考えると、
真実か否かといった現実的なことに
こだわりすぎるよりも、
自分にとって都合がよいのであれば、
それは「真実」だと思って
生きていけばよいのではと
私は思っています。
現世で、つらい人生を送っている人は
前世での罪滅ぼしをしているので、
来生はよい人生になると思えるからこそ、
今のつらさを乗り越える原動力にも
なるのです。
酷いです、無責任な発言です
乗り越えられようもないところまで
来ている人もいる
来世なんて、人間になんてなりたくないし
生まれてきたくもないんです
前世で私が何をしたっていうんですか
それこそ立証してみろよと思います
今世はあきらめろ、はよ死ねって事ですよね
現世の傷をいやすために
ヒーラーとやらにいくら課金したかわからないくらいだ
カウンセリングもいくら使ったか
医療費も同様
大変ごぶさたしています。コメントを拝見して・・・、いろいろな思い、いろいろな人生があるんですよね。中村天風氏のクンバハカや呼吸法はおすすめです。やらなきゃ、損、損らしいです。自分もそう思います。
おはようございます
私も生まれ変わりアリアリ人間です
私のカラダで細胞の生まれ変わりが起きているように 伝えたいことは伝えながらひとも生まれ変わっています。
私の中ではほぼ確実に。
思い込みでもいいですね。私がそう感じてるので。
異論があってもそれはもちろんアリです。
細胞たちが全力でその生を全うしてくれることで…
その愛によって生きられる私なら
私も私を全うすることが愛として何かに
繋がっていると感じています。
私を全うすることが簡単ではないようにも感じていますが。
そして
一日一日に波があるように
一生一生も波があると感じています。
そうしてバランスを自然にとっている。
真実だと思っています。
自分が感じている通りでよく、ジャッジは遠くになげておくのが私のやり方です。
先生が涙する小説
読んでみたいですね。
ふーさんへ。勘違いしてる??「現世で、つらい人生を送っている人は前世での罪滅ぼしをしているので、来生はよい人生になると思えるからこそ、今のつらさを乗り越える原動力にもなるのです」は前世を肯定しているのではなく、そう思えて頑張れる人はそう思っていればいいんではないですかと言っているんですよ。私の言いたいのは、前世があるかないかは、決してわからないことなので、自分の思うように利愛したらよいという意味なのですが‥
女子高生に人気の小説だそうですが、読んでみて下さい。
高橋先生へ。コメントありがとうございます。人それぞれ考え方があるので、それぞれを大切にすればよいかと思います。
先生
こんにちは
最後の一文に嬉しくなりました。
先生が前世、過去世など「信じたい」という言葉も未来志向、期待を持って日々生きるのがホリコミ的に受け取りました。
私も前世療法を扱う身として、信じる信じないより「期待する」事で、今から元気になってもらえるような役に立ちたいと思います。
いつもありがとうございます。
ゆかさんへ 信じるか否かは本人の自由です。所詮わからないこともたくさんあるので、本人が信じることで希望がもてたり楽になったりするのであればそれでよいと思っています。