ブログ:マイノリティの生きづらさ①

先日、朝井リョウの小説、
「正欲」を読みました。

本の帯に「読む前の自分には戻れない」と
書いてあったので興味をそそられ、
読んでみることにしました。

最初はどんな内容なのかさえ
わからないままに読み始めたのですが、
読み進めていくうちに
意味がわかってきました。

途中までは、今はやりの
多様性を大切にして、
LGBTを受け入れましょうという
お話かなとも思っていました。

確かに題材はそうなのですが、
言わんとすることは
そうではありませんでした。

小説の内容については
ここでは書きませんが、
この本を読んで考えたことについて
今回は書くことにします。

私は性的マイノリティに関しては
あまり関心がないのですが、
なぜか読んでいて
惹かれるものがありました。

なぜ惹かれるのか分からなかったのですが、
途中でふと気づきました。

それは、わたしの思想や考え方が
マイノリティの存在であり、
そこが性的マイノリティの人たちの
社会での生きにくさに
共通するところがあると思ったからです。

私はもともと西洋医学の考え方に
疑問や反発を持っていました。

どのような疑問かというと、
西洋医学が、
人間機械論の考え方に基づいており、
身体という「モノ」に対する治療を
することが常識になっているところです。

それともう一つは
自己治癒力の存在を
軽視しているところです。

人には自然治癒力がありますし、
心の治癒力もあります。

つまり、自分で自分の病気や症状を
治したり改善したりする力が
備わっているのです。

ところが、西洋医学の考え方は
人を細胞や器官、臓器といった
「モノ」で構成された精巧な機械であり、
病気の治療は機械の修理と同様、
手術や投薬といった
何かしらの治療手段により、
よくなるという考え方が大前提にあります。

心と身体を切り離し、
なおかつ自己治癒力などは
存在しないかのような
西洋医学の考え方や治療を見ていると
自分が日々考え、実践している医療とは
ずいぶんと違うなと感じてしまうのです。

例えば、むやみやたらと薬が多いとか、
不必要な検査や治療が多いというのは
しばしば感じることです。

入院中の患者さんが、
38度くらいの熱を出すと
すぐさま採血等の検査をし、
少しでも感染が疑われれば、
直ちに抗生剤の点滴が始まります。

しかし実際には、
感染と関係のない発熱もたくさんあり、
特に末期がんの患者さんなどは
原因不明の熱が出ることもしばしばあります。

私などは熱が出ても
まずは1~2日そのまま様子を見ます。

それで自然と解熱してしまう場合が、
半分以上あるからです。

その背景には、
「自然治癒力があるのだから
まずは様子を見よう」という思いがあり、
それが「先ずは待つ」という行動を
私に取らせるのです。

しかし一般の医者はそうは考えません。
もし感染が広がったら、
もし重症化したら大変だと考え、
念のためと言って、
すぐさま抗生剤を投与するのです。

ここには自然治癒力の存在も、
心と身体のつながりも考慮されません。

また、末期がんで全身がむくみ、
腹水や胸水がたまっている患者さんにも
普通に点滴がされるのです。

むくみがあり、
腹水などがたまっている場合は、
点滴をすると、
かえってむくみがひどくなるだけで、
意味がないどころか、かえって逆効果です。

しかし何も食べられない患者さんに対して、
たとえむくみがあったとしても、
何もしないということを医者は嫌います。

そこで、
動きにくくなったギアには
油をささなければ
いけないと思っているかのように、
とりあえず点滴をしなければと
思ってしてしまうのです。

むくんでいる患者さんは、
点滴の針が入りにくく、
また漏れやすいので、
毎日のように針の刺しかえを
することも少なくありません。

患者さんも、嫌だなと思いながらも
必要な点滴なのだろうから仕方ないと思い、
痛みに耐えながら
毎日点滴を受けているのです。

しかし実際には、必要ないどころか、
かえって状態を悪化させることに
なっているなどとは
思ってもいないと思います。

こんな現状を目にする度に、
人はモノではないのだから、
もう少し患者さんの苦痛にも配慮し、
ときには「何もしない」という判断を
してもよいのではと思ってしまうのです。

もちろん、そのような配慮をしつつ、
日々の診療や治療に
当たっている医者もいます。

しかし、多くはそうではありません。

そのような、私にとっての非常識が
病院の中では常識であり、
そんな環境の中で
仕事をすることになります。

当然のことながら、
私の考え方はマイノリティであり、
大多数の医者がやっていることが
正しい考え方だと思われて
いることでしょう。

幸い、緩和ケア病棟では
医者は私一人なので、
自分の考え方に従って比較的行動できます。

もちろん、ナースも
西洋医学の教育を受けているので
医者と同じ考え方が根底にありますが、
医者よりもまだ、
患者さんの心の面に目が向けられるだけ、
私は救われています。
(続く)

    ブログ:マイノリティの生きづらさ①” に対して2件のコメントがあります。

    1. ふー より:

      多分私もマイノリティですが

      マジョリティの人と出来ることや感じることが
      違うだけ…で
      【自分の普通】を敬遠されることはあるけど

      少しでも、そんな自分を良き、と思ってくれる人がいるなら、良いと思いたいな(そんな言っておいて難しいですが( ;´꒳`;)って思います。

      ありのままで良いよ〜って優しい人には言われますが
      結局ありのままじゃ無意識のうちに人をイラつかせたりダメなんじゃんっていうリアルがあって
      生きづらいかなって思います( ᵕ ᵕ̩̩ )

    2. holicommu より:

      生きづらいさを抱えながら生きていく、それでいいんです。

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