ブログ:あまのじゃく物語

前回のブログで、
自分のことをあれこれ書いていたら、
昔のことを思い出してしまいました。

私は小さい頃からあまのじゃな性格で、
何かと反発していたところがありました。

自分では覚えていないのですが、
幼稚園の送迎バスに乗らず、
一人で歩いて家に帰ってきたことがあり、
先生方をずいぶん困らせたようです。

これも覚えていないのですが、
小学校低学年の授業参観のときに、
色紙を水に浸して
色水を作るということをしたようですが、
私はその作業をしなかったそうです。

先生が、どうしてやらないの?とたずねると、
「こんな馬鹿らしいことできない」と
言ったとか、言わなかったとか‥

小学校6年頃から反抗期に入り、
その後10年ほどは、
親とはほとんど話しをしませんでした。

当時は、部屋が狭く、
父親の寝室の一角に机が置かれており、
そこで勉強していました。

しかし、勉強している姿を見られたり、
ほめられたりするのが異常に嫌でした。

そのため、中の様子が見えないように
仕切りのカーテンを置いていましたし、
「頑張っているな」などと言われたら、
すぐにやめてさっさと寝てしまいました。

高校時代には国語の教師が
どうしても気に入らず、
試験問題には一切答えず、
答案用紙の裏面にぎっしりと、
私の意見を書いて提出したこともありました。

そのときの点数は当然0点でした。

今となっては何を書いたのか
全く思い出すことはできませんが、
かなり反発していたのは事実です。

医者になろうと思ったきっかけも、
西洋医学の考え方に疑問を持ったからです。

心と身体を切り離し、
体を臓器別にしか見ず、
かつ、薬ばかり使って、
自然治癒力には目を向けない医学に
高校時代から強い反発を感じていました。

医者になって、
心の治癒力を大切にする考え方を
確立できたのも、
私のあまのじゃくな性格が
功を奏したとも言えなくもありません。

もともとが、西洋医学への疑問から
医者になろうと思った人間なので、
当然のことながら、
大学でもずっと反発をし続けていました。

大学の文化祭でも、
まだ教養の学生だったにもかかわらず、
「薬害問題」で出展しようとしましたが
教授からストップがかかり
「君のような人間には教えたくない」と
言われてしまいました。

また、薬理学の試験では
高校時代と同様、答案用紙の裏側に
薬に対する私の考えを書いて提出しました。

これまた0点となり、
続く二度の再試験も落ち、
この年はあえなく
留年となってしまいました。

また、出欠を取る授業にも
反発していました。

私の大学では、
ほとんどの授業で出欠は取られなかったので、
出席するしないは全くの自由でした。

内科や外科といったメジャーな科目は
多くの学生が出席していましたが、
公衆衛生や麻酔科といったマイナーな科目は
100人のうち、せいぜい10人程度しか
出席していませんでした。

私は、このようなマイナーな科目は
なぜか必ず出席していました。
(寝ていることも多かったですが‥)

そんな中で、唯一きちっと
出欠をとる授業が耳鼻科でした。

さらに嫌らしいことに、
どれくらい出席しているかを
教室の壁に張り出すのです!

こんなことをする授業には
絶対に出ない!と心に誓い?
結局、最初の1,2回以外
ほとんど授業には出ませんでした。

もちろん、壁に張り出された欠席数は
私がぶっちぎりのダントツでした。

これも、私のあまのじゃくな性格を
如実に表わすエピソードだと思います。

こんなことをしながらも
よく卒業でき、医者にもなれたものだと、
今でもよく思います。

実際、還暦を過ぎたこの年になっても、
未だに、試験勉強をし忘れ?
やばい、試験に落ちる!医者になれない!と
焦っている夢を繰り返し見ます。

医者になってからも
あまのじゃくな性格は健在です。

当時は卒業後、
大学病院の医局に入るのが普通でした。

私は、人と同じことをするのが嫌で、
かつ、あまり人が行きたがらないところに
行きたいと思っていました。

そんなこともあり、
研修病院に選んだのが
徳洲会野崎病院という
徳洲会系列の病院として2番目にできた
小さな病院を選びました

さらに、専門を決める際も
とてもマイナーな心療内科を選びました。

当時、心療内科は、
正式な標榜科ではなかったので、
一般の人はほとんどその存在を
知りませんでした。

さらに心療内科医になってからも、
みんながあまり知らない
ブリーフセラピーという
心理療法に興味を持ち、
その分野をとことん勉強して
今に至っています。

当時から思っていたのですが、
何か自分が新しいことをやり始め、
それがメジャーになると急に興味がなくなり
また、人があまりしていないことを探して、
それをやり始めるという傾向が
強かったように思います。

今もそうですが、
みんながやっていることには
あまり興味がありません。

未だに携帯電話ですし、
LINEやフェイスブックなどのSNSにも
全く興味がないというか、嫌いだというのも
もしかしたら、あまのじゃくな性格の
表れなのかもしれません。

こんなひねくれた人間だからこそ、
周囲にはほとんど影響されることなく
自分のペースでやりたいことを
やっていられるのかもしれません。

あまのじゃくも、それを貫けば、
それなりに成り立つものなんですね。

ということで、
私のあまのじゃく物語でした。

    ブログ:あまのじゃく物語” に対して6件のコメントがあります。

    1. 数学苦手な英語好き より:

      私は逆に素直なほうだと思います〜

      ただ中学の数学の先生が
      感情的で、気に入らない事があった時にすぐに怒鳴ったり
      教卓を割ったり(空手有段者)
      テストの答案をクラス全員分
      窓からばら撒いた事から

      それ以来、数学の授業も数学そのものも受け付けなくなってしまいました。

      中3の学年末テストはどうせ卒業してしまうから
      「先生の事が大っ嫌いでした」ってツラツラとテストに書いた記憶があって

      イヤなことを受け付けない
      言いたいことを言うなんて

      先生は素直なんじゃないでしょうか?/(^o^)\

    2. ゆか より:

      コメント失礼します。
      前回に続き今回もとっても楽しく拝読しました^^

      私も中国語の出欠では返事を全くしませんでした^^;
      あまのじゃくな自分を思い出しました。

      それでもいいんだな〜なんて、
      先生のエピソードに勇気もらえます♪

    3. 高橋一浩 より:

      こんにちは。発達障害と思われる特性は多かれ少なかれ、誰にもありますよね。人がどう思うのかというより、自分の価値観に照らし合わせて、合う・合わない、或いは、損得、みたいな基準で行動するのだろうなぁ。経験や学習を通して、文脈で考えられるようになると、外面的には、人並みにコミュニケーションがとれて、情も分かるようになっていくと、今は、思っています。

    4. holicommu より:

      あまのじゃくでも、なんとかやっていけるものです。
      コメントありがとうございました。

    5. holicommu より:

      そのような理解の仕方もあるんですね。
      コメントありがとうございました。

    6. holicommu より:

      お久しぶりです。
      こんな人間でも、なんとかやれています。
      ブログ、読んでいただきありがとうございます。

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