ブログ:気の利いた一言
誰かの悩み相談を受けているときに、
相手の気持ちが一瞬で変わるような、
そんな気の利いた言葉が
言えたらいいなと思うことが
あるのではないでしょうか。
もちろん私もあります。
人は、ハッと思わせられるような
言葉を聞いたとき、
一瞬にして視点が変わり、
気持ちが楽になったり
勇気をもらえたりするものです。
もっとも、こういう言葉は
意図して言えるものではありません。
たまたま言ったさりげない一言が
相手の人生を大きく変えるほどの
大きな影響を与えることもあります。
後々になって、その人から
「あのときの一言が私の人生を変えました」
と言われても、
本人は全く覚えていないということも
しばしばです。
私の話ではないのですが、
患者さんが受けた衝撃の一言の話が
今でも忘れられません。
彼女はとても珍しいタイプの白血病を患い、
骨髄移植をするか否かを
ずっと迷っていました。
なぜならば、
白血病の権威と言われる教授から、
そのタイプの白血病の骨髄移植は、
過去10名しかおらず、
いずれも3年以内に亡くなっていると
聞かされていたからです。
なかなか決断がつかず、
毎日、どうしようかと迷いながらも、
様々な可能性を探し求め
必死になっていました。
そんなあるとき、
骨髄移植を経験した男性患者と
話をする機会があったそうです。
その人に、今の自分の胸中を語ったところ
彼の一言に衝撃を受けたのです。
「あまり必死にならない方がいいですよ、
『必死』って必ず死ぬって書くでしょ」
その言葉を聞いたとき、
自分が目先のことに振りまわされ、
まさに必死になっているとこに気づかされ、
以来、肩の力が抜け、
気持ちが楽になったというのです。
彼女が私の外来に来た際、
その話をしてくれました。
結局、彼女は骨髄移植は受けず、
自然の流れに身を任せつつ、
その数年後、37歳の生涯を閉じました。
ただ、このような言葉は、
状況やタイミングもあるので、
必死になりすぎて
周りが見えなくなっている人なら
誰でもいいというわけではありません。
また、自分の気に入った、
気の利いた言葉をいくつか用意しておき、
チャンスがあれば
それを言ってみようと思っているひとも
結構います。
それも決して悪いとは言いませんが、
その言葉がドンピシャと相手の心に響くことは
それほどあるわけではありません。
準備をしている言葉というのは、
どこかで言ってみたくなるものです。
でも、その場合は、
こちらが言いたいという思いが先行し、
相手の思いに寄り添った言葉では
ない場合が多く、
あまりうまくは届かないのです。
それどころか、
かえって相手を傷つけてしまうことも
少なくありません。
それが「有害援助」です。
例えば、
「悩むのはあなたが真剣に生きている証拠」
「怒りは自分に盛る毒」
「欠点は隠すのではなく利用するもの」
こんな一言が、結構いいなと思うのは、
大きな問題を抱えているわけでもなく、
比較的穏やかな日常を過ごすことが
できているときです。
悩んでいるときや憤慨しているときに
「悩むのは‥」とか
「怒りは‥」と言われても、
自分の気持ちなんかわかってくれない、
結局は他人事なんだ、と思われるだけです。
また、どん底に落ち込んでいる人に
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」
などと言われたら、さらに落ち込みます。
どれだけ苦しい思いをしていると思うの!
あなたに私の苦しみなんてわかるはずない!
と、相手を怒らせかねません。
これらの言葉はもちろん、
悪気があって
言っているわけではありません。
よかれと思って言うのですが、
穏やかなときを過ごしている人から見ると、
心にしみる言葉でも、
苦しみのまっただ中にいる人からすると、
逆に傷つける言葉となってしまうのです。
だからこそ、よかれと思う言葉が
有害援助になってしまうのです。
ですから、
気の利いた言葉なんかにこだわるより、
朴訥とした対応でいいので、
じっとそばに寄り添い、話を聴き、
一緒に悩む方が、
実はずっと相手の癒やしになります。
決して答えが出るわけでもないし、
どうにかなるわけでもないのですが、
そんな態度や振る舞いこそが
人をホッとさせ、気持ちを和らげるのです。
あなたが、相手に寄り添うという
その態度こそが、
まさに、最高の言葉なのです。