よく、「自分らしさ」とか
「その人らしさ」という言葉を耳にします。

様々なところで自分らしさが大切だとか、
その人らしい人生だったなどと言います。

ところで、
この「自分らしさ」「その人らしさ」とは
いったいどういうことなのでしょうか。

一般に「自分らしさ」とは
自分の価値観を大切にして、
自然体で言動が行えることであり、
個性、持ち味、キャラクター、独自性などと
同じような意味合いの言葉だと
言われています。

この説明を見る限り、
なるほどと思うかもしれませんが、
実は、これは非現実的な考え方です。

どういうことかと言うと、
ここで言う「自分らしさ」とは、
まるで一人の人間の中に、
そのようなものが存在しているかのような
イメージを与えます。

しかし実際にそんなことが
ありえるのでしょうか?

無人島で独り生きていくのであれば別ですが
ほとんどの人は、家族や職場で
人とのつながりの中で生きていきます。

つまり、周囲の人との関係性の中で
自分のあり方や振る舞い方、考え方を
その都度変える必要があります。

家では子煩悩な親であり、
妻の前ではワンマンな夫であり、
職場では上司の目を気にする
うだつが上がらない平社員であり、
仲間と飲んでいるときは、
陽気で快活な同僚になるのです。

要するに、個人の中に
「自分らしさ」があるわけではなく、
関係性の中に人は存在しているのであり、
そこには固定された「自分らしさ」など
ないのです。

一人で外を歩いている場合は
マスクをする必要はないと言われています。

ところが、
本当はマスクを外して歩きたいのに、
周りがみんなマスクをしているので
とりあえず自分も
マスクをするという日本人がほとんどです。

これが関係性の中での人の行動であり、
周囲の目を全く気にせずに、
堂々とマスクなしで歩く人は
全体の1割程度です。

では、マスクなしで外を歩く人は
「自分らしさ」を持っている人だと
言えるのかというと、
そうとも限りません。

欧米の国際線では
マスクの着用義務は撤廃しているところが
多くなりましたが、
国内線は未だにマスクの着用義務があります。

国内線に乗る際、
海外では着用義務がないのに
なぜ国内線はダメなんだと文句を言っても
飛行機には乗せてもらえません。

ですから、こういう場合は、
たとえ自分の意に反していても
ルールには従わざるをえないのです。

要するにマスクひとつとっても、
社会で生きている限り、
たとえ理不尽なことであったとしても
周囲に気を遣わざるをえないことが
どうしてもあるのです。

また、中には
彼の前では自分らしく振る舞えるが、
職場ではつい周りに気を遣ってしまい、
とてもストレスが溜まるという人もいます。

ある状況では自分らしくできるのに、
別の状況では自分らしさを
押し殺してしまうというケースです。

このときの「自分らしさ」とは、
自分の価値観を押し通すというよりも、
気を遣わずにいられるので
自然に振る舞えるという意味です。

しかし、社会生活を送る中で、
気を遣わずに個人の思うままに
行動できるという状況など、
そう多くはないはずです。

逆に、みんなに気を遣いながら、
生活をしているというのが普通なのです。

そもそも日本には江戸時代まで
「個人」という言葉はなく、
あるのは「世間」という言葉でした。

明治になり、
日本になかった外国の概念が入り込み、
それらに漢字が当てはめられ
初めて「権利」「義務」「自由」「社会」
という概念が認識されるようになりました。

ですから、昔から日本には
世間というつながりや関係性の中
人は存在していたのであって、
世間と切り離された「個人」が
単独で存在するという認識など
なかったのです。

その点から見ても、
個人の中に存在する「自分らしさ」など
ありえないのです。

言いたいことをまとめます。

個人の中に「自分らしさ」があるのではなく、
関係性の中に人が存在しているだけであり、
状況によっては、
心置きなく振る舞えるときが
あるというだけのことなのです。

ですから、
「自分らしさ」などという
存在しえない概念を崇高なものとして
あがめ奉るのはやめ、
時と場合と状況に応じて、
自分の考えや態度を変える、
そんな自分でよいのではないでしょうか。

私はそう思います。