今回は、
シュテファニー・シュタール著、
「本当の自分」がわかる心理学(大和書房)
の内容について、私の考えも述べながら
書かせて頂きます。

この本は、
たんに過去を掘り下げるだけでなく、
今の自分をコントロールする方法も
しっかりと提示しているので
いいなと思いました。

著者は、自分の心の中には、
幼少時の両親からの影響を受け生じた
「影子」と「日向子(ひなたこ)」という
「内なる子ども」がいると言っています。

「影子」とは
「傷ついている内なる子ども」であり、
幼少期に刷り込まれたネガティブな思い込み、
例えば「私は価値がない!」
「私は何もできない!」といった思いを
持っています。

一方、「日向子」は心の中にいる
「陽気な内なる子ども」であり、
自由に好きなことや楽しいことをし、
感じるままに動く存在です。

こちらは幼少期に受け継いだ
ポジティブな信念を持っています。

この思いは必ずしも
両親から受け継いだものとは限らず、
優しいおばあちゃんや
親切な近所のおばさんからのものかも
しれません。

「日向子」は例えば、
「私は愛されている!」
「私には楽しむ権利がある!」
「私は大丈夫!」
といった思いを持っています。

また「日向子」には
「自分の強み」や「リソース」も
含まれます。

強みとは、例えば
ユーモアがある、協力的、スポーツマン、
知識欲が旺盛、慎重などです。

またリソースは、
よい人間関係、家族、よい仕事、
十分なお金、健康など、
自分が持っている、
問題解決に役立つ資源のことです。

これらのポジティブな信念、強み、
リソースが「日向子」です。

心の中には、
「影子」と「日向子」とは別に、
ものごとを冷静かつ客観的に見る
「大人の自分」という存在もいます。

ちなみに、この「影子」と「日向子」、
「大人の自分」の考え方は、
分類の仕方は多少異なりますが、
交流分析で言うところの
自分の中にある5つの「顔」
(PACモデル)と同じ考え方です。

では、この著者は、
クライエントの様々な悩みや問題を
どのように解決へと
導いているのでしょうか。

先ずは、「影子」の中にある
ネガティブな信念は真実ではなく、
親の教育ミスによって、
自分の心に刷り込まれた
たんなる思い込みだということに
気づくことが大切だと言っています。

そのためには「大人の自分」と
「日向子」の協力を得ながら、
「影子」はたんに
「昔の現実」の中で生きているだけであり、
それは「今の現実」とは違うということを
「影子」にわかってもらうための作業が
必要になってきます。

その方法として例えば、
「私の中の影子が不安になっている」
というように
「影子」を客観的に眺めたり、
「大人の自分」から「影子」に対して
手紙を書いたりするといったものがあります。

これはまさに、ACT(アクト)という
第三世代の認知行動療法のやり方に
他なりません。

ACTは、自分のネガティブな思い込みに
巻き込まれないために、
その思いを客観的に見たり、
名前をつけて対話したりするという方法を
提唱しています。

「影子」や「日向子」というネーミングも、
知らず知らずのうちに持ってしまっている
自分の「思い込み」を客観視するための
ひとつの有効な手段になるのです。

おまけに、
自分のポジティブな感情もネガティブな感情も
ともに受け入れることが
大切だと言っているところも
ACTの考え方と同じです。

こうしてみると
精神分析的なアプローチも
結局は認知行動療法と
つながっているんだというのが
今回この本を読んでの新たな発見でした。

つまり「過去」を扱いながらも、
悩みや問題を解決するためには、
結局、今の「思い込み」をどのようにして
変えるのかということに焦点が当てられ、
そのための様々な手法として、
認知行動療法のテクニックを
取り入れているのです。

もしそうであれば、
従来の精神分析療法のように、
今のネガティブな思い込みの
原因となっている幼少期の体験は
あまり深堀せずともよいのではと
思ってしまいます。

そんなことをしなくても、
「自分は愛されていない」
「自分には価値がない」といった
ネガティブな思い込みを、
今の自分が持っているという事実は
本人もわかっているはずです。

それが、幼少期の両親とのかかわりの中で
どのようにして刷り込まれたかなどは
あまり問題にはなりません。

なぜならば、最終的には
その「思い込み」を
どのようにして対処するのかが
重要になってくるからです。

そうであれば、最初から、
そこに焦点を当てたアプローチをしても
大きな違いがないのではと思いました。

ただその一方で、
なぜ自分がそのような
ネガティブな思いを持ってしまったのか、
その物語を明確にすることは
自分の思い込みを修正するのに
多少は役に立つかもしれません。

人は、なぜ自分はこんなふうに
なってしまったのか、
その原因や理由を知りたいと思うものです。

事件や事故で人が亡くなった場合、
なぜこんなことになってしまったのか、
その原因をはっきりさせたいと思います。

原因がわかったとしても、
亡くなった本人は
戻ってくるわけではありませんが、
そこに至った理由に納得できれば、
それだけで気持ちは落ち着くものです。

同じように、
なぜ自分は価値がないと思ってしまうのか、
なぜ自分は喜ぶことに抵抗があるのか、
その原因を幼少時の両親との関係に求め、
ある程度自分が納得いく
物語が見えてきたら、
今の自分を認め、受け入れられる可能性は
あるかもしれません。

もちろん、必ずしも両親とのかかわりに
そのルーツを求める必要はなく、
自分なりの新たなストーリーを作り、
それで納得がいけば、
それでも全く問題はありません。

何事もそうですが、
ひとつの考え方だけに固執するのは
あまりよいことだとは思いません。

精神分析にせよ認知行動療法にせよ、
はたまた私がしている
ブリーフセラピーにせよ、
それだけですべての問題に
対処することはできません。

そうであれば、
どんなアプローチにせよ、
必要に応じて他の違った考え方を
取り入れる柔軟性が大切になってきます。

私もそう思いながら、
心療内科時代は患者さんの治療に
あたっていましたし、
今開催しているセミナーでも、
柔軟性を意識しています。

これからも、
異なる視点で物事を見たり
俯瞰的にながめる視点を
さらに磨いていきたいと思っています。