私は、取り立てて「禅」に
興味があるわけではありませんし、
禅に関する本を
読んでいるわけでもありません。

そんな、禅に関してはド素人の私ですが、
禅はこんな考え方を
持っているんだろうなという
イメージはあります。

それは、
「何事にもとらわれず、
今できることを淡々とする」
というイメージです。

もちろん、これは禅の本質を
言い表しているわけではないでしょうが、
少なくとも、ある一面を言い表している
言葉だとは思っています。
(間違った理解であれば教えてください)

私は、現代の心理療法は
その意味では、
少しずつ禅の考え方に近づいて
来ているような気がするのです。

どういうことかというと、
心理療法も多くの分野と同様、
その根底には西洋的な考え方があります。

つまり、悩みや問題には
何かしらの原因があり、
それを見つけ出し取り除けば
問題は解決するという
機械論的、因果論的な考え方です。

精神分析療法では、
その原因を幼少時期の
様々なかかわりや経験に求めますし、
行動療法では、
行動を引き起こす原因となる
引き金を特定することに
エネルギーを注ぎます。

また、現在主流になっている
認知行動療法でも、
自分をがんじがらめにしている考え方、
例えば、「自分はダメな人間だ」といった
考え方を特定し、
それを緩めたり、外したりすることで
治療をするというスタイルを取っています。

いずれにせよ、
問題の原因を見つけ、
それに対処する方法は
心理療法によって異なりますが、
原因を見つけそれを取り除けば
問題は解決するという
西洋的な考え方が根底にあるという意味では
どの心理療法も同じだと言えます。

ところが、今主流の認知行動療法が
第三世代になると、
突然?変貌をとげたのです!

どういうことかと言うと、
悩みや問題になっている原因や
足かせとなっているネガティブなこだわりを
あえて取り除こうとはしないという方向に
舵を切ったのです。

これは180度の方向転換と言えるほどの
変わりようです。

要は、こだわりを取ろうとすると
かえってそれがこだわりになるので、
そういうことは
もうやめましょうということです。

今、心理の世界でもブームになっている
マインドフルネスも全く同じ考え方です。

雑念を追い払うとか、
無の境地を目指すのではなく、
雑念が浮かんでくるのは当然のことだから、
それをよしとしましょうという姿勢を
重んじています。

実は、第三世代の認知行動療法は、
禅の影響を受けていると言われています。

私が長年実践しているブリーフセラピーも
禅との関連が指摘されています。

どれも「こだわり」を
何とかしようとするのではなく、
こだわってしまうものは仕方ないので
それはそのまま置いておけばよいという
考え方が根底にあります。

しかし、人はどうしても、
その「こだわり」にひっぱられてしまい、
巻き込まれてしまいます。

その「こだわり」に
巻き込まれないようにするための工夫、
例えば、それを他人事のように
ただ眺めるようにするためのテクニック等も
いろいろと開発されています。

また、「こだわり」を抱えつつも、
何でもよいから、
何かしらの行動をするというのも重要です。

人はじっとしていると、
どうしても気になることに意識が向き、
それにどんどん巻き込まれてしまいます。

逆に、何か他のことに意識を向けていると、
そのこだわりから離れることができます。

要するに、その人にとって
有益だったり
心地よかったりする行動をみつけ、
それにできるだけ
取り組むようにしてもらえばよいのです。

そうすると、
「こだわり」に
囚われている時間が少なくなり、
次第にこだわりが
薄れてくるというわけです。

いま述べた
心理療法におけるかかわり方や考え方が
私の禅のイメージである
「何事にもとらわれず、
今できることを淡々とする」
ということに重なってくるのです。

そう思うと心理療法も、
西洋の因果論的な考え方から脱却し、
東洋的、禅的な考え方に
方向転換してきているように
私には思えるのです。