私たちは生活をするためにはお金が必要ですし、
お金を稼ぐために仕事をします。

ですから仕事をすれば
お金がもらえるというのは
ごく当然のことでし、
仕事をしてもらったら
お金を払うというのも
当たり前のことです。

ところが、この当たり前の中に
落とし穴が潜んでいることを
多くの人は知りません。

例えば、引っ越しをするために
家の中の片づけをしないといけないと思い、
知り合いに手伝ってくれないかと
話をしたところ、
当日空いているから手伝ってもいいよと
言われたとしましょう。

3時間ほど手伝ってくれたので
そのお礼として、近くのお店で
夕食をごちそうしてあげたならば
たとえそれが千円程度であったとしても、
相手は十分に満足してくれます。

ところがそれに対して、
お礼の気持ちとして千円を支払ったならば、
どうなるでしょうか。

たいていの人は、ちょっと複雑な気持ちに
なるのではないでしょうか。

と言うのは、
お金をもらうために
手伝ったわけではないものの、
お金をもらえるのは嫌ではありません。

しかし嬉しい反面、
3時間の労働に対して千円!?
これって少なすぎない?という思いも
わきあがってきてしまうからです。

なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

人は誰でも、
人のためになることをしたいとか、
人とよいつながりを
持ちたいという思いがあります。

ですから、知り合いの依頼で、
片付けを手伝ってくれと言われれば、
それくらいのことは手伝ってもよいと思います。

また、手伝ってくれたお礼に
食事やちょっとしたお土産をくれたならば、
大したものでなくても、
それはそれで嬉しいものです。

ですから、もしまたお願いされたら、
手伝ってもいいかなとも思うものです。

ところが、お礼に現金を渡されると、
その瞬間から、つながりや社会性を大切にした
考え方から、
突然、金額による価値基準で判断する
市場モードに変わってしまうのです。

そのため、3時間の労働に対して
千円の報酬は割に合わないという思いが
出てきてしまうため、
嬉しいという思いよりも、
やや不満な気持ちが出てきてしまうのです。

すると、今度頼まれても、
また千円しかもらえないんだったら、
割に合わないので、
理由をつけて断ろうと思ってしまう可能性が
高くなるのです。

でも、そこは割り切って、
ボランティアとして手伝い、
くれるお金はありがたくもらっておけば
いいではないかと思うかもしれませんが、
一度、市場モードに入ってしまうと、
どうしてもお金のために仕事をするという
視点で物事を見るようになってしまうのです。

誰かからプレゼントをもらう場合も、
同じような心理が働きます。

ちょっとした花でも、
またクッキーやチョコレートといったお菓子でも、
「はい、プレゼントです」と言って渡せば、
相手は喜んでくれますし、
どんなに些細なものであったとしても、
不満に思うことはありません。

しかし、「これ300円でした」と言ってしまうと、
思考回路は、そこでいきなり
市場モードになってしまいます。

つまり、自分では認識しなくても、
無意識レベルでは、
自分に対するプレゼントの価値は
300円レベルのものなんだなと
判断してしまうため、
せっかくの喜びに気持ちが
半減してしまうのです。

逆のパターンもあります。

ある有名な研究で、
託児所に子供を迎えに来る際、
時間に遅れた場合、
罰金を科すことにすると
遅刻する親は少なくなるかという研究です。

結論から言うと、
この方法はうまくいきませんでした。

なぜならば、通常の場合、
遅刻した親は、申し訳ないという罪悪感から、
次回はなんとか時間通りに
迎えに来ようという気になります。

ところが、罰金を科すようになると、
意識は市場モードに変わってしまい、
お金さえ払えば遅刻しても構わないという親が
多くなってしまい、
結局、遅刻が改善されることは
ありませんでした。

通常、私たちは社会性や
優しさやつながりといった思いをもって
物事にかかわっていますが、
そこにひとたび、市場モードが導入されると、
いきなり判断基準が変わってしまうのです。

ですから、よかれと思って
お礼にお金を渡すのは
極力避けた方がよさそうです。

その代わりに、ちょっとしたプレゼントや
食事をご馳走する方がずっと喜ばれます。

一度、皆さんも自分の行動を
振り返ってみてはいかがでしょうか。