多くの人は、不正はいけないと思っていますが、
その一方で不正をしたことがないという人も
いないと思います。

もちろん、盗難や詐欺、横領などの大きな不正は
ないかもしれませんが、
小さな盗みやごまかしといった不正なら
誰でも経験があるのではないでしょうか。

例えば、借りた本を返さなかったり、
会社のコピー機で個人的なものをコピーをしたり、
確定申告時の必要経費を拡大解釈して
申告したりといった、
「まあいいか」と思う程度の小さな不正は
誰もが経験しているところです。

つまり普通の正直な人の不正行為です。
これを確かめるために
前にも紹介したダン・アリエリーらが
四組の学生グループに行った実験があります。

最初のグループの学生には、
50問の多肢選択からなる
一般教養問題を先ずは解いてもらい、
その後配布したマークシートの解答用紙に
答えを書き写してもらい、
それを試験監督に提出します。

試験監督はそれを採点し、
正解1問に対して10セント(10円)を
学生に渡す、それだけです。

二番目のグループは、
同様のテストをしてもらいますが、
異なる点がひとつだけあります。

それは、解答用紙にあらかじめ
正答が薄い灰色でマークしてあります。

つまり、間違った答えをしても、
解答用紙に書き写す段階で、
正解の方に書き換えて印をつけることが
可能なのです。

解答を移し終えた学生は、
正答数を数えてマークシートの上に記入し、
問題用紙(自分が正解と思った答えが書いてある)と
解答用紙の両方を試験監督に提出します。

試験監督は、学生が申請した正答数を見て、
正解一問に対して10セントを渡します。

さらに三番目のグループの学生には、
あらかじめ自分の解答が書いてある
問題用紙の方は破棄し、
解答用紙だけを提出するように伝えるだけで、
最後はその正答数に基づいてお金が渡されます。

そして最後のグループは、試験終了後
問題用紙も解答用紙も破棄し、
正答数の報告もしません。

ただ、教壇のうえにある
コインがたくさん入っているガラス瓶から
正答数の分だけのお金を自ら取り出し
そのまま教室の外に出て行ってよいとしました。

この場合だと、
全く以て自分の自由に
お金を持っていくことが可能です。

さて、この実験でどれくらいの
不正があったのかを調べたのです。

最初のグループは
全く不正をする余地がありません。
つまり、本来の平均解答数を
表すと考えられます(対照群)。
正答数は平均32.6問でした。

二つ目の正解が見えてしまうグループの正答数は
平均36.2問正答したと申請しました。

これが意味するところは
平均、約3.6問分ごまかしたということです。

では、三番目の正解を知ることができるだけでなく、
解答用紙を破棄するように指示されたグループは
どうだったでしょうか。
平均正答数は35.9問であり、
二番目のグループとほぼ一緒でした。

最後の、完全犯罪が可能な
四番目のグループはと言うと
平均正答数は36.1問であり、
これも他のグループとほぼ一緒でした。

このことから何がわかったかと言うと
チャンスがあれば、
多くの正直な人がごまかしをするが、
めいっぱいごまかしをするわけではなく、
その程度はごくわずかだということです。

つまり、不正はいけないと思いながらも、
だれもが、この程度ならいいだろうと
思って不正をしてしまう可能性が
大いにあるということです。

どんなに小さくても不正は不正ですから、
ごまかしてはいけないという理性が働けば
不正をすることはありません。

しかしその理性は、
日常において常に働くとは限らないのです。

でも、いつもなら、
ちょっとした不正を働いてしまう状況であっても、
もし、理性を働かすきっかけがあれば、
その不正は防ぐことができることも
わかっています。

そのきっかけとなるものは、
何らかの道徳基準に
思いを巡らせることができれば、
それで十分です。

例えば、前述のようなテストを行い、
その際、参加者に
「この研究が無監督試験制度の
倫理規定のもとに行われることを
承知しています」という文言に
サインしてもらってから解答を始めたところ、
不正は行われませんでした。

解答用紙は提出せず、
正答数を自己申告するだけで、
それに応じて報酬が
受け取れるにもかかわらずです。

このような研究から私たちは、
小さな不正ならついしてしまうこと、
でも、理性を喚起するようなことあれば、
―「お天道様が見ている」でもよいのですがー
不正は行わずにすむようになるということが
よくわかます。

私たち凡人は、とてもいい人に見えても、
結構、不正や悪さをするものなんですね。
私も身に覚えがあります…です‥る。