映画「三島由紀夫VS東大全共闘」を見ました。
この映画があるのを知ったとき、
なんとなく見たいという思いが沸き上がり、
一度見たらはまり込んでしまい、
結局、3度も見てしまいました。

そうは言っても、
私自身、三島由紀夫にすごく関心があるわけでも
彼の本をたくさん読んでいるわけでもありません。
ただ、当時小学5年生だった私が家に帰ると、
テレビを見ていた母親が
「三島由紀夫が切腹したよ」と、
教えてくれたのをはっきりと覚えています。

そんな私が、この映画に惹かれたのは、
人間としての三島由紀夫を
知りたいと思ったからかもしれません。

これは昭和44年5月13日、
東大駒場キャンパス900番教室に
1000人を超える学生が詰めかける中、
壇上で繰り広げられる
三島由紀夫と東大全共闘の学生たちの
2時間半にわたる討論会の様子を
映画化したものです。

正直、討論は哲学的な内容が多く
よくわからないところもありましたが、
映像を通して感じられる熱気や雰囲気は
ひしひしと伝わってきました。

本当は内容のことも含め、
私の感じたことや考えたことを
書くつもりでしたが、
思うところが多すぎてまとめられないので、
今回は、私が感じた「時代の変化」について
書くことにしました。

まず、一番印象に残ったのが、
討論の間、三島由紀夫も学生も
ずっとタバコを吸いながら
話をしていることです。

また、集まった学生の方にも
カメラが向けられていましたが、
会場にも煙が立ち込めており、
彼らもまたタバコを吸いながら聴いているのです。

おまけに、
全共闘随一の論客と言われた芥正彦は、
多分、4か月くらいであろう女の赤ちゃんを
抱っこしながら討論をしているのですが、
その右手の指に挟まれたタバコからも
ゆらゆらと煙が立ちのぼっていました。

そんな、モクモク状態の舞台で、
小さな赤ちゃんは泣きもせず、
彼に抱きかかえられているのです。

今では絶対にお目にかからない光景ですが、
当時はそれが当たり前だったというのは
実感としてわかります。

私の両親もヘビースモーカーでしたので、
6畳のリビング兼寝室の部屋には
煙がいっぱいに立ち込め、
その中でいつも夕食を食べたり、
テレビを見たりしていました。

もちろん、部屋の壁や天井はタバコのヤニで
真っ黒になっていました。
でも、それが当たり前だったのです。

それで思い出したのが、
吉永小百合主演の映画「愛と死をみつめて」です。
これは実話をもとにした映画ですが、
その中で、大学病院の個室に入院中の患者さんに、
主治医が大切な話をしにくるシーンがあります。

主治医が部屋に入り椅子に座ると、
おもむろに白衣からタバコを取り出し、
火をつけて、先ずは一服するのです。

この映画はDVDで5年ほど前に見たのですが、
話の設定は昭和38年頃だと思います。
当時は、主治医が患者さんの部屋で
タバコを吸っていたんだと
DVDを見ながらびっくりしたのを覚えています。

でも思い返してみると、
私の大学では授業中にたばこを吸うことが
許されていた教科がありました。

その先生も、たばこを吸いながら
授業をしていました。
昭和56年頃の話です。

また、以前勤めていた病院には
たばこの自販機が設置されており、
患者さんは自由にタバコを買って吸っていました。
30年近く前のことですけど。

喫茶店でも自由に喫煙ができなくなった現代では
信じられないような光景ですが、
50年前はそれが当たり前でした。

そんなことを考えながら見ていると、
時代が変わったんだなあということを
改めて実感しまいた。

もうひとつ、
時代の流れを感じたことがあります。

当時、全共闘のメンバーとして討論に参加していた
芥正彦、木村修、橋爪大三郎の三氏は
今も健在であり、
インタビュー映像として登場します。

映画の中の三氏は20代前半、
現在の彼らは70代になっているので
当然なのですが、
人はみんな年を取るんだなあと
実感してしまいました。

昨年私も60歳になったこともあり、
年を取るという現実を
ひしひしと感じるように
なったせいかもしれませんが、
こういう映像を見ると、
何か、ノスタルジックな思いに
駆られてしまうのです。

それは単に年を取るという
肉体的な変化を見たからだけではありません。

そこには人それぞれの変遷の歴史があり、
様々な事件や出来事を経験する中で
思いや考え方にも変化が起こり、
その結果として
今日の自分がいるという現実があるのです。

映画の中の三氏の映像を見ていると、
到底、言葉では言い尽くせない、
時間の流れの重みを感じるのです。

この映画は私を
そんな思いにさせてくれたのでした。