シンポジウムin関西2019の
二人目の演者は夏苅郁子先生でした。
夏苅先生のエピソードは
本でも読んで知っていましたが、
しかし実際の話を生で聴くと、
そのインパクトの違いに圧倒されました。

このような話はどちらかと言うと
苦労話や英雄物語のような
美しい話に仕立てられがちですが、
夏苅先生の話は全く美しくはないのです。

だからこそ、逆に真実味が伝わってくるし
リアルな体験をした人でない限り、
語れない話だと思いました。

例えば、統合失調症の母親と、
愛人宅に入り浸り、家には帰ってこない
父親を持つ彼女にとって
「家族」という言葉が
一番嫌いだったと言います。

実際、学生時代は親を殺したいという思いから、
常にカバンには出刃包丁を
忍ばせていたといいます。

そして殺人と自殺とは紙一重だということを、
そのような体験を通して実感したそうです。

よく、たとえどんな母親であろうとも、
自分を生んでくれた存在なのだから、
感謝の気持ちを持たなくてはいけないとか、
子供を愛さない親など存在しないなどと
言う人がいますが、
彼女の話を聴いていると、
そういう人の言葉は、
うわべだけの、本当に薄っぺらいきれい事にしか
聞こえなくなってしまいます。

また、自殺未遂を2回経験している彼女は、
人が死ぬのに理由などなく、
ちょっとしたタイミングなのだとも
言っていました。

人には「死に至る器の目盛り」があり、
普通の人はその目盛りが0~10程度ですが、
嫌な出来事が積み重なり、
死への願望がどんどん強くなっていくと、
そのメーターの数字も次第に上がり、
それが100になったときに
人は自殺を決行するというのです。

彼女は99のところでなんとか留まり、
死には至らなかったのですが、
最後のひと目盛りを上げるのは、
自転車がパンクしたといったような
そんな些細な出来事なのです。
まさにタイミングです。

このような考えは、
実体験をした人でない限り
出てこない発想だと思いました。
それだけに彼女の話には説得力がありました。

もうひとつ心に突き刺さった言葉がありました。
それは「恨み」です。

彼女が医学部をめざして勉強したのも、
また国家試験に合格して医者になったのも、
すさまじい程の努力をした結果でしたが、
その原動力となったのが「恨み」でした。

学生時代はひどいいじめにあい、
その人たちを見返してやりたい、
身勝手な振る舞いをする親を
見返してやりたいという思いが、
彼女を猛烈な勉強へと駆り立てたのでした。

さらには、
父親が愛人を作り、再婚したのを見て、
父親に復讐をしてやるという思いから、
彼女自身がいろいろの人の愛人となり、
不適切な異性関係を繰り返していました。

でもこのような破壊的行為の裏には、
寂しさゆえに、
手っ取り早く愛情のようなものを
手に入れたいという思いがあったと言います。

「恨み」や「復讐」という感情は、
どう見てもネガティブなエネルギーにしか
思えないのですが、
彼女の話を聴いていると、
人にとっては必要な感情なのかもしれないと
思えてしまうから不思議です。

そんな、ネガティブの塊であった彼女も、
30歳半ばを過ぎてからは、
少しずつ回復の道を歩んで行くことになります。

そのきっかけになったのは人との出会いです。

例えば、親身になって相談に乗ってくれた
姉のような存在の女性。
彼女は、夏苅先生に生きるための知恵を
教えてくれました。

また、在日韓国人の女性からは、
「普通の恋愛」の大切さを学び、
それがご主人との出会いにもつながりました。

同じ精神科医のご主人は、当初から
統合失調症の彼女の母のことについては、
一切たずねてこなかったと言います。

この「善意ある無関心」が彼女を救ったのです。
もしも、母親のことをあれこれ聞かれていたら、
「恨んでいる」「殺したい」といった、
後々後悔するような言葉を
吐いていたかもしれないというのです。

両親の罵詈雑言を聞いて育った彼女からすれば、
「言葉は怖い」「言葉により人は壊れていく」
という実感があり、
ご主人の善意ある無関心は、
まさに癒しを感じるかかわりだったに
違いありません。

そして彼女を、さらに前進させたのが、
自分の体験を公表したことでした。

そのことで講演をする機会が増え、
自分の体験を語れば語るほど、
自分が癒されていくことを実感していきます。

自分の話を聴いてくれる人がいる、
自分を認めてくれる人がいる、
だからこそ自分は語れる、
そして語ることが治療になるということを
身を以て立証したのでした。

夏苅先生は今、
世間の、精神科疾患への偏見を是正したい、
医師の世界と、患者や家族の世界の
橋渡しをしたいという思いを持って、
日々の診療に励まれています。

精神科医のメスは薬ではなく言葉であり、
また、人を治すのではなく、
その人の適応的な側面を支持強化することが
医師のなすべきことだと言っていました。

最後に、回復とは
人と時間がバトンリレーのように
手渡しされながら成り立つものであり、
これからも自分は、
バトンのひとつとしてあり続けたいという言葉で
講演を締めくられました。

夏苅先生には、
最後のパネルディスカッションにも
参加して頂きました。

その時も、「なるほど」と思わず
唸ってしまうような話をしてくれましたが、
それについては、後日お話させて頂きます。