ブログ:帯津先生、米寿祝賀会

先日、池袋のホテルで開催された
経営科学出版主催の
「帯津良一先生 米寿祝賀会」に
参加させてもらいました。

ごく内輪で集まる会でしたので、
参加者は15名ほどでした。

その中には由美かおるさんや
生島ヒロシさんもいました。

由美かおるさんは
すでに70歳を超えていますが、
今もなおスラッとしており
美しいままでした。

現在も呼吸法を教えていると
言っていました。

他には断捨離で有名な
やましたひでこさんや
おのころ心平さん、
医者仲間では、
川嶋朗先生や山本竜隆先生が
参加していました。

会の途中で、
私も数分程度の祝辞を
述べさせてもらいました。

帯津先生は知る人ぞ知る
ホリスティック医学の第一人者です。

著書は300冊以上あり、
コロナ前までは年間100回以上の
講演をこなしていました。

もちろん、病院やクリニックでの
外来診療もしています。

帯津先生との出会いは
もう30年以上前のことです。

私は昭和62年頃から
ホリスティック医学協会に
かかわるようになりました。

その後関西支部を設立し、
定期的にフォーラムを開催しています。

これも今までに147回行なっていますが、
その第2回(34年前!)には
帯津先生をお呼びし、
「東西医学の融合」というタイトルで
講演をしてもらっています。

当時の私は、
がんの自然治癒にとても関心を持っており、
将来は統合医療的な施設を作りたいと
思っていた時期でもあります。

そんなこともあり、
西洋医学に様々な代替療法を取り入れて
がん患者さんの治療をするという
帯津先生のスタイルに
とても憧れていました。

帯津先生はお酒が好きであり、
そこが私との唯一?の共通点であり
時々飲みにも連れて行ってもらいました。

25年程前には、
ホメオパシーの学会を日本でも作ろうと、
帯津先生らと一緒にイギリスのグラスゴーに
何度か研修を受けに行ったのは
懐かしい思い出です。

その際も、ロンドンのヒースロー空港で
飛行機の乗り換え待ちの時間を利用して
お酒を飲みながら
生牡蠣をたらふく食べたのが
今でも一番の思い出です。

また、帯津先生の存在が、
とても助けになったこともあります。

私が心療内科医として
初めての本を出版した矢先に、
緩和ケア病棟が新設される病院への異動を
教授から打診されたことがありました。
もう25年も前の話です。

当時は心療内科が
面白くて仕方のない時期でもあったので
とても悩みました。

そんなときに
ホスピス医である山崎章郎先生と
帯津先生との対談本
「いちばん納得できるガンとのつき合い方」
を読んで決意が決りました。

当時の帯津三敬病院は
ほとんどががんの患者さんであり、
3日に1人は亡くなるという状態でした。

これはまさに緩和ケア病棟と
同じような状態であり、
そんな環境でホリスティック医学を
実践していたのです。

そうであれば、
私が緩和ケア病棟に移っても
帯津先生と同じような形で
がん患者さんに関われるかもしれないと思い
緩和ケアへの異動を決意しました。

ただしその話は、
受け入れ側の病院の都合で、
結局は白紙撤回され、
その後も心療内科医を
続けることになりました。

でも、そのとき悩んだことがきっかけで
緩和ケアへの親近感が生まれました。

それから5年後に
現在の病院への異動を打診された際には、
そろそろ新しいことに挑戦したいという
思いもあったこともあり、
何のためらいもなく、
すぐさま提案を受け入れました。

そんな経緯もあり、
今の緩和ケア病棟では、
様々な代替療法を取り入れ、
患者さんのケアに取り組んでいました。

もちろん、患者さんが希望する
免疫療法やビタミンC大量療法といった
治療的代替療法も、
可能な限り受け入れていました。

また、帯津先生の生き方や考え方も
本で読んだり話しを聞いたりしていたので
だいぶ影響を受けた気がします。

帯津先生は講演の前であっても
昼にはビールを飲みます。

ホリスティック医学協会のシンポジウムでは
役員は控え室で一緒に昼食を取りますが、
その際、帯津先生は必ずビールを飲むので
毎回事前に用意されています。

そのお付き合いができるのは私だけなので、
いつも一緒にビールを楽しんでいました。

そんなこともあってか、
私も次第に自分の講演やセミナーのときでも
昼食時にはビールを少し?だけ
飲むようになってしまいました。

もっとも生ビール1~2杯程度なら、
その後の講演やセミナーには
全く影響はありません。

それどころか、
ほんのりいい気分になっているので、
よりよい話しができる気がします。

また帯津先生は早寝早起きで、
今は朝3時頃には起きるようです。

そんな話しを聞いていたので
私も早起きなので、
帯津先生を見習ってもっと早く起きようと
思うようになりました。

そのため3時半頃に起きるところまでは
挑戦したのですが、
結局、それは無理と思うようになり
今は4時20分で定着しました。

このように帯津先生には
様々な点で影響を受けていることを
祝辞内容を考えているうちに
改めて認識させられました。

なにはともあれ、
帯津先生にはこれからも
トキメキの心を忘れずに
100歳まで現役で
頑張ってもらいたいと思います。

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