ブログ:人はなぜウソをつくのか①
前々回のブログを書きながら
人はなぜウソを言うのだろうかと
あれこれ考えることがあったので
今回はそれについて話したいと思います。
その前にまず
言っておくべきことがあります。
それは、ウソと言っても
明らかに悪意のあるウソと、
善意に基づいたウソ、
さらには自分でも気づかずにつくウソが
あるということです。
当然、悪意のあるウソはいけません。
詐欺などのように、
人を騙して相手に不利益を
被らせるためにつくウソは
犯罪であり論外です。
そうは言いながらも
悪意とまでは言わないまでも
意地悪な思いをはらんだウソなどは
実はいくらでもあります。
例えば嫌いな人に何かをたずねられたとき、
本当は知っているのに「知らない」と
答えたりする場合です。
あんたなんかに教えたくない!という
思いの表れが
「知らない」というウソをつくという
行動に表われたのだと思います。
こう考えてみると私たちは結構、
意地悪をしようなどと思っていなくても
知らず知らずのうちに
ウソをつくことで意地悪を
しているケースは結構あるものです。
ただし、ほとんどのウソは、
実際には自分がウソをついているという
認識がないままにウソをついています。
私の人生の中で最も印象に残っているウソは
高校時代に出会った
虚言癖の女性のウソです。
彼女は、自分は急性骨髄性白血病と
再生不良性貧血を患い、
そう長く生きられないと言っていました。
さらに姉が先日交通事故で亡くなり、
悲しみに打ちひしがれているというのです。
でも、これらはすべて真っ赤なウソでした。
あま、変だなと思いながらも
否定するのも申し訳ないと思い、
しばらく話には付き合っていましたが。
今思うと彼女は
演技性パーソナリティ障害だったのではと
思います。
こんな人もときにはいますが、
例外的だと考えた方がいいでしょう。
もう少し一般的なウソとしては
自己正当化のためのウソがあります。
人はみな自己中心的です。
ですから何かあった場合、
自分が正しくて相手が間違っていると
思いたいのです。
仕事のミスを他人のせいにしたり
トラブルの原因を
相手のせいにしたりするというのが
一般的です。
でも、これも意識的にウソを
言っているわけではなく、
自己正当化という無意識レベルの反応により、
自分の言っていることは
ウソではなく正しいことだと
思ってしまうのです。
冷静かつ客観的に考えなおしてみると
自分の非も見えてくるのですが、
なかなかそうは思いたくないので、
自分を正当化するためのウソを
つい言い続けてしまうのです。
またそう言い続けているうちに
それがいつの間にか
真実であるかのように
思い込んでしまうようになります。
実は私も以前ありました。
もう20年くらい前の話ですが
私がまだ寝ていた早朝4時頃に
患者さんが痛がっていると
ナースから電話がありました。
私はモルヒネの流量を上げればよいと思い、
0.05ml/時を0.1 ml/時に上げてと
言ったつもりでした。
しかし、ナースは1.0ml/時に
上げてしまったのです。
これはもとのモルヒネの量の20倍です。
そのため数時間後に病棟に行き、
患者さんを見てみると
昏睡状態になっていました。
明らかにモルヒネの過剰投与が原因です。
すぐさまモルヒネを切り、
モルヒネの働きを抑える薬を投与し、
半日後には意識が戻り、
ことなきを得ました。
しかし、後日このことが問題となりました。
ナースは私に1.0ml/時に
アップするようにと指示されたと主張、
私は0.1ml/時に上げるように言ったと
言い張りました。
知識のある緩和ケア病棟のナースであれば
こんなミスは決して起こしませんが、
このときは他病棟のナースであり、
モルヒネの適正量についての知識も
なかったことも原因の一つでした。
実はこのとき、
朝の寝ぼけた状況のなかで
言ったことを思い返してみると
0.1と言うべきところを1.0と
言ってしまったような気もするのです。
でも、
そうは思いたくないという気持ちも働き
私は0.1とちゃんと言ったと
最後まで言い張りましたが、
多分、1.0と言ったのだと思います。
これは、自己正当化のためのウソです。
本当は「1.0と言ったかもしれない」と
言うべきところですが、
当時はそうは言えませんでした。
もっともウソを言っているという認識も
ありませんでした。
自分の頭の中で、
朝方の出来事を何度も思い返しているうちに
「絶対に0.1と言ったはずだ!というように
思いが強化されていったのだと思います。
このような、
自己正当化のためのウソは
多くの人が言った経験があると思います。
(続く)