ブログ:全体よりも部分が大切!?

今回もアン・ウーキョン著、花塚恵訳の
イェール大学集中講義
「思考の穴」(ダイヤモンド社)をもとに
このブログを書かせていただきます。

私たちは、限られたデータから
全体を判断しようとした場合、
そのデータ数は
多いに越したことはありません。

例えば大学の先生を評価をする場合、
その講義を受けた生徒100人に
点数やコメントをつけてもらえば、
その先生の評価が高いか低いかが
ある程度わかります。

一方で、100人の生徒のうち、
極端な点数をつけた
二人の生徒のコメントを参考に
この先生の評価を決めてしまうのは
かなり偏りが生じることになります。

そんなことは言われなくてもわかります!
と言いたいところですが、
頭でわかっていることと
実際にしてしまうことが異なるのが
人間という生き物なのです。

例えば、100人の平均点が
100点満点中75点だとしましょう。

これであれば、
まあまあよい評価だと思われます。

ところが先ほどの二人の生徒は
ともに30点をつけ、
以下のようなコメントを書きました。

「講義は一般的な内容が多く、
正直言って期待外れでした」

「もっと深く知りたいと思い
質問しましたが、
曖昧な返事しか返ってこず、
本当に専門家?と思ってしまいました」

第三者のあなたが
この先生の評価を下す場合、
もしかしたらこの先生は、
あまりよい先生ではないのかもしれないと
思ったりしないでしょうか。

このような目を引くコメントに
つい引っ張られ、
全生徒の平均が75点だったにもかかわらず、
本当はそれほどよくないかもしれないと
思ってしまうという過ちを
私たちはついしてしまうのです。

人は全体を見ることの大切さを
頭では理解していても、
実際には偏ったサンプルに基づいて
判断を下してしまうものなのです。

このようなことは日常生活のなかでも
しばしばあります。

例えば、寄付をしてもらおうとする場合、
「アフリカで食料が不足し、
300万人以上の子供たちが苦しんでいます」
という手紙を読んでもらった場合と、
統計データは見せず、
7歳のひどく痩せた少女が、
物憂げな表情でこちらを見つめている写真を
1枚見せた場合とでは、
後者の方が多くの寄付が集まります。

これは「身元のわかる犠牲者効果」であり、
人は、個人を識別できる情報に
強い反応を示す傾向があるのです。

ですから、コロナで1万人が
亡くなったというニュースより
志村けんがコロナで
亡くなったというニュースの方が
圧倒的にインパクトがあり、
恐怖や不安をかき立てるのです。

また、こんな判断もよくする過ちです。

自分の祖父は
毎日タバコを100本吸っていたけど
90歳まで元気でいました。

だから、ヘビースモーカーだからと言って
長生きできないわけではありません!

愛煙家の中には、こんな考えから
タバコを吸い続けている人は
少なからずいると思います。

これなども、タバコを吸っている
何千万人もの統計データを見ずに、
一人のインパクトのあるデータのみで
全体を判断してしまうという
典型例のひとつです。

このように人は、
たくさんのデータに基づいた判断よりも
個々のインパクトのあるデータに影響を受け
しばしば間違った判断をしてしまうのです。

これは面接試験のときにも
しばしば問題になります。

面接に来た候補者には
それぞれの経歴や特性、才能があります。

ところ面接官は、
面接をしているごくわずかな時間での
パッと見の雰囲気や振る舞い、言動に
強いインパクトを残した候補者を
合格にしてしまうということが
しばしばあります。

本来であれば、
学校での成績や得意分野、業績など
様々な視点から
総合的に判断するべきでしょうが、
実際には一瞬の印象が
採用を決める手がかりに
なってしまったりするのです。

このように、
何かを判断するときには
データが多い方がよいと頭ではわかっていても、
実際には、個人の発言や印象を
優先してしまうという過ちを
私たちはつい犯しがちなのです。

あなたはそのような過ちをしていませんか?

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