ブログ:ワクチンと権力②

國部克彦著、
ワクチンの境界~権力と倫理の力学
(アメージング出版)の内容紹介の続きです。

ワクチン導入の当初は、
どの国でも追加接種の可能性につては
何も言及されていませんでした。

しかし現実は、
ワクチン接種に終わりがあるのか
それすらわからない状況になっています。

また報告された数だけでも
ワクチン接種により
2000人近くの人が亡くなっていますが、
その99%以上が「因果関係は評価できない」と
なっています。

インフルエンザワクチンによる死亡者数は
毎年ゼロ~数人であることを考えると
誰が見ても異常だとわかります。

このようなデータを見ても、
ほとんどの人は、
政府や専門家の言うことを鵜呑みにし、
疑問を持ったり、
自分で調べようとしたりはしません。

また、
ワクチンへの疑問などを言おうものなら
「デマ」だと決めつけられ、
それらの意見は排除されてしまいます。

デマだと言うのであれば、
その科学的な根拠を示すべきなのですが、
そういうことはせず、
一方的にデマだと決めつけるのは
民主的、科学的な態度ではありません。

現在、ユーチューブでは、
ワクチンへの疑問を呈するような動画は
すべて削除されるようになってしまいました。
まるで中国の情報統制を見ているようです。

また、マスコミも
「デマ」に関する話題を頻繁に取り上げ、
ワクチンに対する疑問の封じ込めに
大きな役割を果たしています。

もっとも、「陰謀論」とか言われると
さすがに私も引いてしまいますが、
ワクチンに疑問を持つことについては、
しごく当然のことだと思っています。

そもそも今はまだ、
正しい情報など存在しない状況です。

ワクチンに関しては現在、
治験中であり結論などでていません。

ましてや、子供や妊婦への影響は
今後10年、20年経たないと
わからないのです。

それを今の段階で
安全だと言い切るのは、
科学的な見解ではなく、
宗教や信仰の話です。

このような背景には、前回お話しした
「規制的権力」と「生権力」という
「匿名の権力」による支配があります。

近代社会では、
権力は、社会的なつながりやシステムの中に
存在しているのです。

その結果、
みんながワクチンを打つから私も打とう、
みんながマスクをしているから
私もマスクをしようという、
そんな思いにさせられてしまうのです。

このように、
人間を内側から動かす力が
「匿名の権力」なのです。

問題の本質は人間ではなく、
あくまでシステムにあるのです。

企業も医学会も
近代社会のシステムに組み込まれた
サブシステムであり、
システムに認められた範囲内では
自由に議論ができても、
システムを批判するような議論に関しては
自由はありません。

マスコミもシステムの一部であり、
システムの根幹を
揺るがすような批判はしません。

国民は皆、思考停止に陥り、
言われたままに従う
「凡庸な悪」そのものです。

「凡庸な悪」とは、
ナチスに加担した人々から見えてきた
全体主義の本質です。

ナチス支配下のドイツでは、
ユダヤ人の大量虐殺が
行われたことは有名ですが、
だからと言ってドイツ人の誰もが
根っからの悪人だったわけではありません。

みんなが思考停止状態となり、
同調圧力に屈することで
ナチスに従っていたという人が
ほとんどです。

つまり、ごく普通の凡庸な人々の中に
「悪」が忍び込み、
知らず知らずのうちに
ナチスに加担するように
なってしまったのです。
これが「凡庸な悪」です。

そして今、日本でも
システムに組み込まれた
「匿名の権力」により、
まさに「凡庸な悪」が
大量生産されてしまったのです。

私たちはもう一度ここで立ち止まり、
しっかりと現実を
見つめ直す必要があります。

ワクチン推進派の考え方は、
少数の死者が出たとしても、
大多数が無事ならばそれでよいという
最大多数の最大幸福という
功利主義の考え方に基づいています。

議論すべきポイントは、
予防目的のワクチンであっても
人が死ぬことは仕方ないと
言えるのかという点です。

治療目的の薬で
人が亡くなることはまだしも、
予防が目的のワクチンを健康な人に打ち、
それで人が死ぬということを
治療薬による死亡と同様、
やむを得ないことだと言って
片づけられることなのでしょうか。

公平なデータを提示された上で、
各々が自分で判断し、
それで打つと決めたら打ち、
その結果、亡くなったというのであれば
まだ、やむを得ないところはあります。

しかし今は、
企業や医学界、経済界、マスコミが
一丸となって
システムの中に組み込まれた
「匿名の権力」を駆使することで、
多くの国民が、
ワクチンを打つのが当然だと思ってしまい、
それ以上は考えないという
思考停止状態に追いやられています。

推進派も反対派も、
各々がしっかりとした科学的データを出し、
その上で十分に議論した上で、
あとは打つ打たないの決定は
個人の意思に任せるというのが
本来の姿のはずですが、
今はそのようにはなっていません。

そのような当たり前なことができず、
「匿名の権力」により、
日本が全体主義的傾向になっていることに
著者は警鐘を乱打しているのです。

皆さんは、どうお考えでしょうか。

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