前回は、私の根底にある考え方、
「あると信じているものはあるし、
ないと信じているものはないのであり、
実際に存在するか否かが、
存在を決めるのではない」
ということについて
いくつかの例を出して
説明させていただきました。

今回はもう少し、
補足説明をさせて頂きます。

今、私はパソコンを使って
このブログを書いていますが、
ここには確かにパソコンが
「存在」していると言えます。

パソコンは見えますし、
実際に使うことで
たくさんのことを調べ
知ることもできました。

またこのように
ブログを発信したり、
皆さんから意見を頂いたりもします。

このようなことから、
私はこのパソコンが
存在しているという事実を
信じて疑いません。

では、機械文明を一切持たない
アマゾンの原住民にとっては
このパソコンは、
存在しているのでしょうか?

パソコンというものが
世の中にあるということを
知らない人たちにとっては、
パソコンは存在していないと
私は考えます。

でも、パソコンはあると信じています。
そうであれば、私のパソコンを
アマゾンの原住民に見せたら
どうなるでしょうか。

確かに彼ら彼女らは、
パソコンに触ることもできるし、
重さも感じるわけですから、
モノとしては認識できると思います。

しかし、世界中と通信ができ、
様々な情報を知ることができる
機器だという認識は
全くないと思います。

そうであれば、
パソコンはそこらに転がっている石ころと
さほど違いはなく、
私たちが認識している
本来の意味での「パソコン」は
そこには存在していないことになります。

要するに、
モノとしては存在していても、
そこにどのような意味を見出すか、
どのような価値観を持っているかにより、
存在したり存在しなかったり
するということです。

もう一つだけ補足説明を
させて下さい。

それはルールの話です。
例えば、手術室に土足で入ることは
OKだと思いますか?
それとも禁止されていると思いますか?

答えは、土足で入ることはOKです。
ただし私が医者になった頃は違いました。

すべて着替え、靴下も代え
当然、手術室用のサンダルに履き替えて
手術室に入りました。

これはルールであり、
それに反する行動は許されませんでした。

もしも土足のまま入って、
細菌を手術室に持ち込み、
それが患者さんに感染を引き起こしたら
どうするんだ!というのが理屈です。

しかしその後の研究で、
土足で入ろうと、
新しい履物に替えようと、
それが感染リスクを
高めることはないということがわかり
それからは、土足で入ることは
問題なくなりました。

つまり、ルールが変わったのです。

現実は全く変わっていないのですが、
ある物事に対する理解や解釈が変わることで
ルールが変更され、
その結果、皆の考え方も
変わったということです。

その事実が真実か否かということとは
全くの別問題です。

そのときの社会や時代が
正しいと言えば正しいし、
間違っていると言えば
間違っていることになるのです。

例えば、平成8年4月1日に
「らい予防法」が廃止されるまで、
らい病(ハンセン病)患者は
隔離生活を余儀なくされました。

らい病は感染力が弱く、
抗菌剤による治療も
可能であるにも関わらず、
つい最近まで患者さんは
法律上、差別扱いを受けていたのです。

今は、この法律自体が
違憲であるという判決が出されており、
国も正式に謝罪しました。

ついでに言うと、
「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」
「離婚後100日間、女性の結婚は禁止」
ということが民法で定められており、
今も効力を持っています。

DNA鑑定ができる世の中になっても、
今もこの法律に従わざるをえず、
明らかに今の夫の子供だとわかっていても、
戸籍上は前夫の子になってしまうという
理不尽がことが起こるのです。

さすがにこれは、
時代遅れの法律だと国も認識しているようで
そろそろ改定されるようですが、
でも、どんなに馬鹿げた決まりでも
ルールはルールなので
それまでは、
この法律に従わないといけないのです。

このように、そのときの状況や時代背景、
国民の認識により、
物事に対する理解や解釈は変わるものであり、
絶対的な真実があるわけではないのです。

つまり、
多くの人が正しいと信じていることが
正しいことであり、
多くの人が間違っていると信じていることは
間違っているということになり、
その事実が真実か否かは
関係ないということなのです。

前置きが長くなりましたが、
いよいよ次回は本題に入ります。