いきなり、何をバカなことをと
思われるかもしれませんが、
これから話そうとしていることは
きわめてまじめな話です。

少々哲学的な話にもなりますが、
私の価値観の根底にある
根本思想でもあるので、
少々お付き合いください。

まずは「存在」するということ、
つまり「ある」とは
どういうことかということです。

何も考えない人にとっては、
「あるものはあるし、ないものはない」
という、単純明快な話であり、
それで終りです。

ではお聞きしましょう。
まだ発見されてない星は
この宇宙に存在するのでしょうか。

まだ発見されていない星は
無数に存在しているはずです。

でも、私たちはまだ発見できていません。
発見されていないのに、
なぜ無数に存在しているなどと
言えるのでしょうか。

発見されていないのですから、
あるかないかなど、
本来ならわからないとしか
言いようがありません。

ただ、数学的、宇宙論的に計算して、
まだ発見されていない星は
無数にあると推定されます。

でもあくまでも推定であり、
発見されるまでは、
その星は存在していないと言っても、
何の問題も不都合も
起きることはありません。

もっとも、
そんなことを真剣に考えているのは、
天文学者や一部の天文オタクくらいで、
われわれ凡人には、
発見されていない星があろうとなかろうと
どうでもいいと思っている人が
大半だと思います。

なぜならば、私たちの生活に
発見されていない星の有無など
何の影響もないからです。

では、こんな例はどうでしょうか。

ある人が脳梗塞で倒れ、
1週間後に亡くなりました。

死後、解剖したところ
末期のすい臓がんが見つかりました。

末期がんの患者さんが発症する脳梗塞は
トルソー症候群と言われ、
よくあることです。

さて、この人は生前、
すい臓がんだったと言えるのでしょうか。

この人が生きているときにも、
すい臓がんは確実に
存在していたと思われます。

ただし、それは亡くなって解剖したからこそ
わかったことであり、
もしも解剖せずに
そのままだびに付されていたら、
すい臓がんがあったということは
永遠にわからなかったはずです。

誰も知らないということは、
「存在」していないというのと同じです。

ちょっと待った!
それはおかしい!と
思った人はいませんか?

本人や周囲の人間は知らなくても、
客観的事実としてすい臓がんが
存在していたことは間違いないので、
それはやはり「存在」していたと
言えるのではないか!と
疑問を呈する人が必ずいます。

でも、それは違います。
死後、解剖してわかった事実をもって
「存在」していたと言うのは、
後出しじゃんけんと同じであり、
誰でも言えます。

生前はそんなこと、
誰も知らないわけですから
すい臓がんが存在していたなどと
言えるはずがありません。

もちろん、存在しなかったと
断言できる人もいませんが、
存在しなかったという前提で、
今の状況を理解、解釈しても
何の問題も矛盾も起きません。

ただし、生前、たまたま撮ったCTで
すい臓がんが見つかり、
その事実を、患者さんが知ったならば、
その瞬間、すい臓がんは
突如として出現することになります。

そのときは、
命にかかわる病気として
すい臓がんはまぎれもなく
「存在」することになります。

この考え方は、
魂や死後の世界という非物質的な世界でも
全く同様のことが言えます。

魂や死後の世界は存在するかとたずねると
存在を信じるという人と、
信じていないという人に分かれます。

魂や死後の世界があると
信じている人にとっては
それらは明らかに「存在」しています。

しかし、そのような世界は信じず、
死んだら無になると思っている人にとっては
魂も死後の世界も存在しないのです。

いくら、臨死体験をしたとか、
亡くなった母親が部屋にいるのを
はっきりと見たという人がいても、
信じていない人間からすれば、
それは単なる脳の反応の産物であり、
魂や死後の世界の実在とは全く無関係だと
考えることでしょう。

ですから、信じていない人には
魂や死後の世界など存在しないのです。

要するに、今までの話をまとめると
「自分が信じているか、信じていないかにより
その存在は決まるのであり、
客観的な事実が存在を決めるのではない」
ということです。

この考え方は、
現代の物質中心主義の考え方には反します。

現代人は、
「モノ」を中心に考えるクセがついており、
そのため「モノ」が客観的に
存在しているか否かがとても重要視されます。

言ってしまえば、
「モノ」を中心にしてしか
考えられなくなってしまっている、
ということです。

ですから、上記のような私の考え方に
違和感を持つ人は多いのだと思います。

でも私は、その人が信じるか否かが
存在の有無を決定するという考え方を
大切にしています。

これは人間の心や思いを中心にした
考え方なのです。

今、一世を風靡している
「新型コロナウイルス感染症」ですが、
物質至上主義の現代医学からみれば
当然、コロナ感染症は
明らかに存在していることになります。

存在しないなどと言ったら
袋叩きにあうことは必至です。

でも、もう少しこのことについては
じっくりと考えて頂きたいと思っています。

ということで、
続きは次回にさせて頂きます。