私は自分の知らないことを知るのは、
視野を広げ、知識も増えるので
有意義なことだと思っています。

しかし、その一方で
自分の知らない新しい世界を知ることは
本当にいいことなのか、
という疑問もあります。

例えばスマホです。
一昔前まではスマホも携帯も
ありませんでした。

その時はそれで何も不自由なく
過ごすことができていました。

しかし、一度スマホを持ってしまうと、
今度はスマホがない生活に戻ることは
ほぼできないと言っても
過言ではありません。

スマホが便利であることは
言うまでもありません。

それはそれでよいのでしょうが、
今度は全く必要がないときでも
常にスマホを見続けるようになります。

スマホを知ってしまったがために、
スマホを使う立場から
スマホに使われる立場に
なってしまったのです。

それにより失うものは少なくありません。
時間はもちろんのこと、
判断力や集中力、記憶力、感受性、
コミュニケーション能力、健康、
ボーっと過ごすという経験などは
スマホの存在により
次第に失われていきます。

スマホともっと上手に
付き合っていけばよいのでしょうが、
一度手にしてしまうと、
なかなかそれが難しいのです。

医療の世界でも、
実は同様のことが言えます。

たまたま受けた検査や検診で、
肺がんや乳がんを疑われ、
最終的に手術をしたら
良性腫瘍だったということは
まれではありません。

もし、検査をしなければ、
肺の陰や乳房のしこりも
見つかることはありませんでした。

当然、不安な日々を送ることもなければ、
不要な手術を受ける必要も
ありませんでした。

もちろん、手術をした結果、
がんだったということがわかり、
検査をしてよかったということも
あります。

ですから、これも一概に
良し悪しは言えません。

がんに対する治療法などもそうです。

がんになればたいていは手術や、
抗がん剤治療を受けたりします。

特に抗がん剤治療は、
多くの場合、延命治療であり、
遅かれ早かれ病状は悪化します。

抗がん剤治療で、
一番患者さんを苦しませるのが、
しびれや味覚障害といった副作用です。

これらの症状は、
抗がん剤を続ければ続けるほど
程度が強くなり、
また抗がん剤をやめた後も、
元に戻ることはあまりありません。

患者さんに限らずそうですが、
多くの人の楽しみは、
食べることです。

量は食べられなくても、
美味しいと思って食べられることは
とても幸せなことです。

しかし味覚障害の患者さんは
その喜びが失われてしまうのです。

ですから、
こんなつらい思いをするんだったら、
抗がん剤など
受けなければよかったと言う患者さんは
少なからずいます。

抗がん剤治療という存在を
知ってしまった(勧められた)がために、
このような苦しい思いを
引きずらざるを得ない患者さんが
相当数いるのです。

もちろん、抗がん剤治療を受けることで、
それほど副作用も強く出ず、
かつ、それなりに
長生きできたという患者さんも
確実にいます。

つまり、抗がん剤治療も、
よいこともあれば、
悪いこともあるということです。

実は、私は昔から赤ひげ先生に
あこがれていました。

田舎のおじいちゃん、おばあちゃんを診て、
お金をもらえる人からはたんまりもらい、
貧乏な人は無料で診るという
あの、昔ながらの赤ひげ先生です。

そんな先生は、
患者さんから絶対的な信頼があります。

ですから、
患者さんにがんが見つかり、
都会の大きな病院で治療を受ければ
なんとかなるかもしれないと言っても、
そんな患者さんは、
治療を受けることを拒むかもしれません。

「先生に最後まで診てもらいたいんです、
それで死んだとしても後悔はありません」
などと言われたら、
きっと医者冥利に尽きることでしょう。

では、この患者さんは
不幸でしょうか、それとも幸せでしょうか。

しっかりとした治療を受けたら
また元気になって田舎にも
戻ってこれる可能性もあります。

しかし、赤ひげ先生のもとを離れない限り、
最新治療を「知ること」はできません。

つまり、この患者さんは、
最新治療を知ることなく、
今のままで最後まで田舎にいることを
選択したのです。

実際に治療を受けたら、
よかったと思うか、副作用で苦しみ
後悔するかはわかりません。

でも、本人の希望通りに
赤ひげ先生に
最後を看取ってもらえたならば、
たとえ命が短くなったとしても、
それはとても幸せなことではないかと
思うのです。

余計な情報が入らなかった分、
迷うこともなく、
自分の思い通りに逝く、
これはこれでよいのではないでしょうか。

結局、私が言いたいことは以下のことです。

1,いくつかの選択肢がある場合、
どれが正解かなど絶対にわからない。

2,そのため、多くの情報を知り、
自分で考え、選ぶのも大切だが、
余計な情報に振り回されることなく、
自分の思いを最後まで貫くのも正解。

2,どんな状況になったとしても、
最終的に自分が選択したものが
正解だと思うしかない。

4,以上のことから、
余計な情報を「知らない」ことが、
人によっては大いなる幸せになる。

実際、知らない方が幸せだったということも
世間にはたくさんあります。

世の中には、
何でもかんでも「知りたい」と思う人が
多いように思います。

しかし私は、
「知ること」が必ずしもよいとは
思っていないのです。