皆さんは「奏効率」って
聞いたことありますか?

これは抗がん剤治療が
どれくらい効いたのかということを
示す数値です。

一般の人は、
「有効率」と同じだろうと
思うかもしれませんが、
これが全く違うのです!

多分、一般の人からすると
奏功率20%と聞くと、
その抗がん剤治療をすることで、
がん患者さんの20%がよくなる、
つまり5人に1人は治ると
思うのではないでしょうか。

現実は、そこまで甘くはないと
知っているという人でも、
「奏功した」と言うからには、
半年や1年くらいは
抗がん剤の効果を認められるのではと
思うのではないでしょうか。

でも、実際は全く違うのです。

「奏効」の意味を広辞苑で調べると
「効果が現れること、結果を生ずること」
と出てきます。

つまり、よくなるという意味ではなく
効果が現れた率のことなのです。

もう少し具体的に説明すると
抗がん剤治療の効果判定には
以下の4つがあります。

①完全奏効
がんが消え、
それが4週間以上持続した場合

②部分奏効
がんが30%以上小さくなり、
それが4週間以上持続した場合

③不変
がんの大きさが変わらない場合

④進行
がんが20%以上大きくなった場合かつ
絶対値でも5mm以上増加した状態、
あるいは新しい病変が出現した状態

このうち、
①完全奏効か②部分奏効であった場合、
その抗がん剤は「奏功した」と言い、
その率が奏効率なのです。

これを見てもわかるように
たった4週間、効いていれば
それでOKなのです!

率直に言って、
これは「詐欺」だと思います。

通常、医者は患者さんや家族に、
この抗がん剤がどれくらい効くかと
たずねられたら、
奏効率の数字を言います。

当然、奏効率という言葉を使っても
意味がよくわからないので、
「有効性がある」とか、
「効く」という言葉を使って
説明することが多いと思います。

当然、患者さんも、
その抗がん剤で20%の人が助かると
誤解する人も少なくないと思います。

ましてや4週間効けば
それで「効いた」と言えるなどとは
ほとんどの人は思っていないと思います。

例えば、抗がん剤をすることで
4週間にわたり腫瘍が30%以上小さく
なったとしましょう。

しかし、その後抗がん剤が効かなくなり、
再び腫瘍が大きくなってきくなり、
3か月後には亡くなってしまったとします。

でもこれは、
明らかに②部分奏効になるので、
「奏功した」と判断されます。

抗がん剤の効果が1か月しか持たず、
3か月後には亡くなったとしても、
その抗がん剤は
「奏功した」と判断されるのは
一般の人の感覚とは
かなりかけ離れている気がします。

当然のことながら、
奏効率と延命効果とは
必ずしも比例しません。

奏効率が高い抗がん剤であったとしても、
上記の例のようにすぐに効かなくなり、
あっという間に亡くなる人もいます。

逆に、奏効率が低い抗がん剤でも、
効かないながらも進行がゆっくりで、
長生きできる人もいます。

また、抗がん剤治療は
一部の例外を除いて、
治す治療ではなく延命する治療です。

急性白血病や精巣腫瘍のように
抗がん剤で完治する可能性が
高いがんものもありますが、
多くの場合はそうではありません。

つまり、治すのが目的ではなく
延命することが目的なのです。

実際、抗がん剤を使い続けると、
がんは次第に抵抗力をつけてくるため
抗がん剤が効かなくなってきます。

それが1か月後なのか、
1年後なのかはわかりません。

ですから、抗がん剤が効かなくなったら、
次の抗がん剤、さらに次の抗がん剤と
切りなく続くことになります。

どこで終わりが来るのかというと、
抗がん剤治療に耐えられないくらい
状態が悪くなるか、
抗がん剤の副作用で使えなくなるかの
どちらかです。

もちろん、その前に
「もう抗がん剤はしません!」と
本人や家族が希望すれば、
その段階で治療は打ち切りとなり、
あとは緩和ケアに行ってくださいと
いうことになります。

奏効率の定義を
どのように決めようと自由ですが、
往々にして医者や製薬会社に
有利になるように決められるものです。

定義中の効いている期間を4週間ではなく、
せめて12週間(3か月)に
してもらいたいものです。

抗がん剤をできるだけ
使ってもらいたいという意図もわかりますが、
1か月というのはあまりにも短いし、
騙していると言われても
言い訳できないのではないでしょうか。

でも、今更定義を変えることは
しないでしょう。

効いている期間を3か月にしてしまったら、
「奏効率」がぐんと下がってしまい、
な~んだ、この抗がん剤も
あんまり効かないんだと
思われてしまいかねないからです。

人は自己中心的であり、
自分が一番かわいいのです。
これが人間の本性ですから
仕方ありません。

このような、
患者さんに誤解をもたらすような表現は
医療の中にはたくさんあります。

だからこそ私たちは
しっかりと現実を知り、
自分に最適な治療を選択していく目が
必要になってくるのです。