私たちが普段、
“こころ”と呼んでいるものには、
考えたり判断したりする「頭」の部分と
感じたり反応したりする「心」の部分の
二つがあります。

もちろん、これら二つを
厳密に分けることはできませんし、
「無意識」を介して
お互いがつながっています。

しかしこの二つは似て非なるものであり、
実際、どちらの視点に立つかにより
全く異なる自分を作り出しています。

例えば、勉強をしないといけないのに
見たいテレビを見てしまうのは
「心」が優先されているからです。

逆に、試験が近いから
今やらないと間に合わないと考え、
見たいテレビを見ずに
試験勉強を始めるのは
「頭」が優位になっているからです。

つまり頭は、
今、何が必要なのか、どうすべきかを考え
その判断に基づき行動をします。

その一方で心は、
自ずと湧き上がってくる
「したい」という感情に身を任せ、
それに基づいて行動をします。

このように、頭と心では
しばしば、とる行動が異なるのです。

これはよく
「べき」と「したい」の対立だと言われます。

頭は、勉強「するべき」だと考え、
心は、テレビを「見たい」と思うため、
両者の間で葛藤が生じ、
これがストレス状態を作るのです。

この「頭」と「心」は
様々なところで衝突します。

例えば、有名なトロッコ問題では、
この両者の対立が顕著に現れます。

トロッコ問題とは以下のような問題です。

制御不能になったトロッコが
線路を突っ走っており、
線路の先には5人の作業員が作業をしています。

そのまま何もしないと、
この5人はトロッコに引かれて死にますが、
幸い、この事実に気づいたあなたは、
自分のすぐ近くにある
路線の切り替えるためのスイッチを押せば、
その5人を助けることができます。

しかし、その代わり、
切り替えられた路線の先にも
一人の作業員がいるので、
今度はその1人が死ぬことになります。

あなたはスイッチを押して
路線を切り替えますか、
それとも何もしませんか?という問題です。

この場合、
多くの人はスイッチを押して
路線を切り替えると言います。

なぜならば、
死を避けられないのであれば、
5人死ぬよりも1人だけ死ぬ方が
まだましだからという理由です。
これは、「頭」による判断です。

一方、スイッチは
押さないという人もいます。

なぜならば、
自然の成り行きにまかせていれば
死なないですんだのに、
自分が切り替え作業をしたがために
死なせてしまった人がいるというのは
とても罪意識に苛まれます。

だから、
あえて切り替えないというわけです。

この場合は、
「心」の方が強く働いています。

実際には、この両者の考え方の間で
行ったり来たりしながら、
どちらを選ぶべきかと悩むことになります。

このように、何かを判断をする際には、
しばしば「頭」と「心」の間で対立が起こり、
綱引きをしている状態になるのです。

では、どちらか一方だけでよいのかというと
もちろんそんなことはありません。

「心」は何事も素早く判断し、
行動に移すという特性がありますが、
その反面、誤った判断をすることもあります。

一方、「頭」は判断すべきことに
じっくりと取り組み、
十分に考えた末に最終判断を下し、
それを行動に移します。

ですから、時間はかかりますが、
「心」よりも正確で合理的な判断を下します。

ですから、
今日は何を着ていくかとか、
昼食は何にするかといった、
ごく日常的でさほど重要性がない場合は、
「心」が中心となり、
さっさと決めます。

一方、仕事の計画や
やるべきことを決めたりする場合は、
「頭」が中心となり、
じっくりと取り組むことになります。

このように「心」と「頭」は
必要に応じて役割分担をし、
時には協力しあいながら、
日々の判断や行動をしているのです。