ブログ:カウンセリングにおける反共感論②

(前回の続き)
ではなぜ、そこまで共感が
大切だと言われるのでしょうか。

それは共感が、
カウンセリングにおける信頼関係の構築に
欠かせない要素だと考えられているからです。

クライエントがセラピストに対して
「自分のことをわかってくれた」と
思ってもらえたら、
両者の間に信頼関係が
構築されたといってもよいでしょう。

信頼関係が構築されれば、
カウンセリングがうまくいく可能性が高まるため、
その意味で共感はとても重要なのです。

前回、共感には
情動的共感と認知的共感があると説明しました。

では、カウンセリングで
その大切さが強調される
情動的共感が持てないと、
信頼関係の構築はできないのでしょうか。
私はそうは思いません。

なぜならば、
相手が感じていることを
あたかも自分自身のことであるかのように
感じる情動的共感だけが、
信頼関係を構築するわけではないからです。

私は、うまく反応を返してあげさえすれば、
ある程度、相手に「わかってもらえた」と
思ってもらえると思っていますし、
それで信頼関係は少なからず築くことが
できると思っています。

例えば、
「そんな状況でよくやってきましたねえ」
「そこまでよく我慢してましたねえ」
「そんなこと言われたら誰だって怒りますよ」

このような返しはよくしますが、
これだけで、クライエントは十分に
わかってもらえたと感じてくれます。

もちろん、思ってもいないのに
そんなことを言ってもうまくいきませんが、
真剣に話を聴いていれば、そんな思いになり、
ごく自然に言葉は出てきます。

クライエントは自分の言ったことに対して、
どんな言葉を返してくれたかによって、
「自分のことをわかってくれた」と
感じるものです。

ですから、
そのような言葉を返すことができれば、
情動的共感で生まれる信頼関係に
勝るとも劣らず、
関係性を構築することは十分に可能なのです。

そうであれば
自分が経験したことがないことであっても、
ある程度イメージして、
「ご主人が突然亡くなられたら、
それはショックどころではないですねえ」と
言葉で返してあげるだけでも
よいのではないでしょうか。

あえて情動的共感を持ちださなくても、
相手がどのように感じ、
どのように考えているかを理解するという
認知的共感さえあれば、
「自分のことをわかってもらえた」と
思ってもらうことは
さほど難しいことではありません。

そう考えれば、情動的共感ではなく、
認知的共感を中心に対応していくことで、
信頼関係を築くことは十分に可能です。

さらに、
認知的共感を中心にすえた
カウンセリングをすることのメリットは、
何よりもクライエントに
巻き込まれないですむということです。

そうであれば、共感しつつも
常に冷静な視点で話が聴けるため、
カウンセリングを適切な方向に
進めていくことができます。

私からすると、
情動的共感がカウンセリングに
絶対必要だと思っている人は、
カウンセリングの目的が何なのかを
見失っているのではないかと思ってしまいます。

私は、カウンセリングの目的は
クライエントに共感することではなく、
クライエントに癒しをもたらし、
希望や可能性を見出してもらうための
サポートをすることだと思っています。

ですから、情動的共感がなくても、
癒しをもたらし、
希望や可能性を持ってもらえたならば、
それで十分にカウンセリングの目的は
達しえたと考えています。

そうであれば、
情動的共感を追い求めるのではなく、
認知的共感で癒しをもたらし、
あとは冷静に思いを巡らしながら、
今の状況でもできそうなことや
希望や可能性を持ってもらえそうなことを
クライエントと一緒に探すという作業をする方が、
カウンセリングの目的を遂行できるのでは
ないでしょうか。

また、希望や可能性を
一緒に探していくという作業を通して、
クライエントとの信頼関係も
より強くなっていきます。

つまり、情動的共感が持てなくても、
このような過程全体を通して
揺るぎない信頼関係が構築され、
それがさらなる希望や可能性を
生み出すという良循環がうまれるのです。

以上のような理由から、
私は情動的共感よりも認知的共感に
より重きを置いたカウンセリングを
大切にしたいと思っています。

皆さんはどう思われますか?

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