ブログ:カウンセリングにおける反共感論①

先々週、「反共感論」の本を紹介しましたが、
これはカウンセリングにも直結する話だったので
とても興味深く、かつ考えさせられました。

私は心療内科医時代、
個人のカウンセリングが中心でしたので、
そこでの「共感」の是非には
以前から関心がありました。

一般的に、カウンセリングでの共感は
必要不可欠なもののように言われていますが、
私は以前からそこに疑問を持っていました。

カウンセリングで推奨されている共感は、
ロジャースの言う「共感的理解」のことであり、
これは「情動的共感」の意味に近いと思います。

つまり、相手が感じていることを
あたかも自分自身のことであるかのように
感じるという意味での共感です。

しかし実際には、
似たような体験を思い出し、
多分こんな感じなんだろうなと
イメージを描くことは可能でしょうが、
あたかも自分自身のことであるかのように
感じるということには限界があります。

特に、セラピストが経験したことがないこと、
例えば夫を突然事故で亡くしたときのショックや、
小児がんの子供を看病する母親の辛さなどは、
セラピストが自分のことのように感じるのは
ほぼ不可能だと思います。

では、そんなクライエントの気持ちには
共感できないのでしょうか。

情動的共感という意味では難しいでしょうが、
認知的共感、つまり、
相手が思っていることや感じていることが
理解できるという意味での共感は可能です。

ご主人を突然事故で亡くした悲しみや、
小児がんの子供を抱える母親のつらさは、
頭では十分にわかりますし、
感覚的にもある程度は理解可能です。

私が主宰するセミナーでは
共感に関しては、情動的共感よりも
むしろこちらの認知的共感をお勧めしています。

そこにはいくつかの理由があります。

第一に、自分の思いとかけ離れ過ぎていて
とても共感できないケースが
ときとしてあるからです。

「口答えしたから殴ってやった!」という人にも
先ほどの例とは違った意味で
通常は共感などできませんし、
その必要もないと思っています。

だからと言って、その人に
反発心や嫌悪を感じてしまうと、
その後のカウンセリングはうまくいきません。

ここで大切になってくるのが、
認知的共感なのです。

例えば、
「この人は、自分に口答えをする人には
暴力で対応する人なんだな」
といった具合に受け止めてあげれば
それでよいのです。

要するに
事実を客観的にとらえ、
そこにはあまり
感情を挟まないという共感の仕方です。

これならば、
自分の価値観に反するクライエントであっても
そこにはネガティブな感情は生じません。

認知的共感をお勧めする第二の理由は、
クライエントに巻き込まれないですむからです。

巻き込まれるとは、
セラピストの感情が大きく動いてしまい、
強い反発心や拒絶が出てきてしまったり、
逆に、相手に憐みや愛おしさを感じ、
何とかしてあげたいという思いが
出てきてしまう場合です。

相手の思いや体験を、
自分のことのように感じるという場合、
感情が主体となった関わりになります。

反発心といった
ネガティブな気持ちが出てきてしまうと、
カウンセリングがうまくいかないことは
容易に察しがつきます。

しかし何とかしてあげたいという思いは
一見よいことのように思われがちですが、
冷静で客観的な視点で
相手を見られなくなるという点では同じです。

つまり、ポジティブでありネガティブであり、
感情が大きく動いてしまうような状況では
カウンセリングはうまくいかないのです。

そのような理由で、
私は感情を主体とした
情動的共感に重きを置くことは
あまりお勧めしないのです。

だからと言って、
情緒的なかかわりをするなとか、
感情を押えろという意味ではありません。

相手の思いに寄り添いながら話を聴いていれば、
当然、こちらも感情が動きますし、
時には、涙が込み上げてくることもあります。

ただ、その感情の波に飲み込まれ、
相手と一緒に心の世界を
彷徨ってしまう「巻き込まれ」には
注意には注意が必要だということです。

また、悩みや問題を抱えた人の場合、
今、何をしたらいいのか、
今後はどんな方向に歩んで行けばよいのか、
あれこれと思いを馳せる必要があります。

ただ単に共感をもって話を聴いていれば
それで、相手が楽になり、
進むべき方向性が
見えるようになるというのであれば
それはそれで問題ありません。

しかし、たいていの場合、
共感をもって話を聴いているだけでは、
いつまでたっても同じところを
グルグル回っているだけで、
何をしたらよいのかという方向性が
全く見えないままでいることがしばしばです。

だからこそ、
希望や可能性の光を見出すきっかけを
一緒に探すという作業が、
カウンセリングには必要になってきます。

そのためには、
暗闇の中をさまよっているクライエントの
足元を照らしてあげるように、
そっと手を差し伸べ、
冷静さを保ちながら話が聴ける
認知的共感が必要なのです。

ではなぜ、そこまで共感が
大切だと言われるのでしょうか。
それについては次回お話させて頂きます。
(続く)

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