共感してはいけない!?①

「私は共感に反対する。本書の目的の一つは、
読者も共感に反対するよう説得することだ」

これはポール・ブルームの
「反共感論」(白揚社)という本の
「はじめに」に書かれている一文です。

挑発的な本ですが、
こういう常識に反する考え方に触れると、
思いもよらない視点に
気づかせてくれることが多いので、
私は結構好きです。

読んでみて、
著者の言わんとすることは
十分に理解できました。

挑発的で断定的なので、
誤解を受けやすいところもありますが、
実際には、頭ごなしに
共感を否定しているわけではありません。

共感の大切な部分は認めながらも、
実は、問題となる側面も多々あることを
様々な実例や研究結果を示すことで
共感=善という誤った思い込みを
指摘しているのが本書なのです。

共感には大きく分けて、
情動的共感と認知的共感があります。

情動的共感とは相手が抱いている
喜びや怒り、嫌悪、悲しみ、苦しみなどの感情を
自分も同じように感じるという共感です。

一方、認知的共感とは、相手の立場に立って、
相手がどのように感じ、どのように考えているかを
理解することができるという共感です。

よくカウンセリングでは、
傾聴、受容、共感が大切だと言われますが、
ここで言う共感が情緒的共感のことであり、
認知的共感は、受容に近い概念だと思います。

著者は、認知的共感は大切ですが、
情動的共感は様々な問題を引き起こすため
過信しない方がいいと言っています。

誤解を避けるために言っておきますが、
情動的共感と、優しさや思いやりとは、
似て非なるものです。

例えば、電車にお年寄りが乗ってきた際、
自分の席を譲ってあげるというやさしさには
情動的共感、つまり相手の感情を
自分のことのように感じなくても、
席を譲ってあげることはできます。

ですから、情動的共感と優しさや思いやりとは
重なるところはあっても、
同じものではないということです。

この点を誤解してしまうと、
優しさや思いやりもよくないものだと
間違った理解になってしまうので
気をつけてください。

ではなぜ、情動的共感は
問題だと言っているのでしょうか。

それは、
情動的共感は、ときに誤った理解や判断をさせ、
人によっては有害にすらなるからです。

その典型例がバーンアウトです。
例えば、共感力の高いナースが、
患者さんの思いを自分のことのように受け止め、
その結果、一生懸命になり過ぎて、
バーンアウトしてしまうというようなケースです。

このように、情動的共感が度を超えると、
自分のことを犠牲にしてでも、
相手に尽くしてあげたいという、
自己犠牲の精神につながってしまうのです。
(自己犠牲が善か悪かはここでは論じません)

ほかにも情動的共感は
様々な問題を孕んでおり、
それが判断の偏りをもたらし、
人々の行動を左右することになります。

例えば、2012年にアメリカの小学校で
銃乱射事件が起こり、それにより
子供が20人、大人が6人犠牲になるという
痛ましい事件がありました。

当然、この事件は連日のように報道され、
アメリカ中の人の注目を集めました。

ところが、その年に
アメリカの都市のひとつである
シカゴで殺害された児童の数は、
その事件での犠牲者数よも
多かったにもかかわらず、
こちらは全く注目されることは
ありませんでした。

なぜ、そのようなことが起こるのでしょうか。
それは、人はつい個別のことに注目してしまい、
全体に目を向けるのが苦手だという
心のクセがあるからです。

だからこそ、銃乱射事件のような
特異な出来事があると、
ついそれに惹きつけられてしまい、
怒りや悲しみといった情動反応が
わきあがってくるのです。

その一方で、
シカゴでそれ以上の子供が殺されているとか、
アフリカで毎年500万人以上の子供が
飢餓や病気で亡くなっていると聞いても、
かわいそうとは思いながらも、
その1分後には、家族で談笑しながら
夕食を楽しんでいるのです。

かつてスターリンは、
「一人の死は悲劇的だが、
100万人の死は統計だ」と言い、
マザーテレサも
「大衆を見ても私は行動しないが、
一人を見れば行動する」と言っています。

このように、ある特定のことに
スポットライトが当てられると
情動的共感は大いに働きますが、
統計的に見出されるようなことに対しては
あまり反応しません。

人は数的情報に基づいて
物事を判断するのがとても苦手なのです。

だからこそ、大局的な視点で物事をとらえ、
適切な判断が必要になるような場合には、
情動的共感はとても問題になってくるのです。
(続く)