前回紹介した「認知バイアス」という本には、
他にも興味深い話がたくさん載っていました。

私たちは何でも
物事をカテゴリー化して考えています。

例えば、ニンジンを見たら「野菜」だと思い、
犬を見たら「動物」だと判断します。

このようにあるものを、
あるカテゴリーのメンバーだと判断する
心の働きを「カテゴリー化」と言います。

カテゴリー化することで、
物事を考えたり判断したり
しやすくしているのです。

ところがこのカテゴリー化が、
様々な問題を引き起こすことにもなります。

例えば、「大阪のおばちゃん」という
カテゴリー化を見てみましょう。

大阪のおばちゃんと聞くと、
派手で大声でしゃべり、押しが強いなど
いわゆる「大阪のおばちゃん」の典型的な
イメージを浮かべます。

しかし、これはあくまでも典型例であり、
物静かで目立たず恥ずかしがり屋の
大阪のおばちゃんも当然います。

ですから、カテゴリー化する場合、
本来なら様々なサンプルを集めて、
その特徴を調べ、
その上で「大阪のおばちゃん」とは、
こういう特徴がある人たちだと
言わなければいけないのです。

しかし実際にはそんな面倒なことはせず、
目立つ特徴を取り上げ、
それを代表例、典型例としてしまいます。

するとたいていの場合、
平均的な大阪のおばちゃんと、
典型的な大阪のおばちゃんとでは
かなりかけ離れた人物像になってしまうのです。

このイメージの差が
差別や偏見を生むことにもなります。

男は…女は…とか、黒人は…白人は…
といった言い方をした場合、
これらはすべて、カテゴリー化して
物事を考え判断しています。

そのため男は強く、女は家庭的といった
特徴的なイメージで物事を考えるため、
ナヨナヨしている男性が蔑まされたり、
バリバリ働く女性が疎んじられたりといった
差別や偏見が生まれるのです。

「カテゴリー化」の他にも
興味深い話がたくさんありました。
例えば、「言語化」の問題点です。

ある犯罪が行われたときのビデオを
参加者に視聴してもらいます。
もちろん、ビデオには犯人の顔が
はっきりと映っています。

その後、一方のグループには、
ビデオに登場する人の顔を詳細に
5分間、言語的に記述してもらいます。

もう一方のグループにはそうしたことはせず、
全く別のことをしてもらいます。

その後に、犯人の顔写真を含んだ
何人かの顔写真を見せ、その中のどれが
ビデオに登場する人物かを答えてもらいます。

5分間もその男の特徴を一生懸命に思い出し、
文章化までしているのですから、
こちらのグループの方が
成績がよいだろうと思うかもしれませんが、
実際の結果は逆なのです。

なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

言語化するためには、
まず全体を部分に分解し、
それぞれを言葉で表すという作業が
必要になります。

逆に言うと分解ができないもの、
しづらいものを言語で表現することは
きわめて困難な作業になります。

特に人の顔の特徴などは、
何度か見ればすぐに覚えられますが、
それを言葉で表現しようとすると
不可能に近いものがあります。

目が二つ、鼻が一つなどと言っても
全く意味がなく、
そうかと言って、
目や鼻のちょっとした特徴を
事細かく表現することはほとんどできません。

つまり言語化しようとすると
どうしても分析モードで見てしまうため、
パーツに気を取られ、
全体に対する注意が薄れてしまうのです。

結果として、
顔写真を見て言語化したグループの方が、
そのような作業をしなかったグループよりも
成績が悪いという結果になるのです。

あと「共同に関わるバイアス」の章も
結構面白かったです。

全部はお話しできませんが、
要するに「共同」で何かをすることは
よい面がある反面、
問題点もあるということです。

例えば、アイデアをいろいろ出すにあたり、
以前はブレーンストーミングが
もてはやされましたが
今は、多くの研究でその効果は否定されています。

なぜかと言うと、
いろいろな人が意見を言う場にいることで、
自分の考えが言いづらかったり、
周りの意見に合わせてしまったりということが
しばしば起こるので、
結局、独自性や多様性を持つアイデアは
出にくいというのです。

他にも、共同で何かをする場合、
自分はやりたくない、
それは間違っていると思っていても、
上から言われたことだからやらざるをえず、
それが、ごく普通のいい人が、
ときに不正行為や犯罪行為に手を貸すという
とんでもない事件を
引き起こすことにもなるのです。

他にもいろいろありますが、
興味のある方は、
ぜひ「認知バイアス」をお読みください。
面白いですよ。