ブログ:医療の中の儀式①
以前私は、
儀式や形式的なことは
不要だと思っていました。
結婚式にせよ葬式にせよ、
仮にやらなかったとしても、
現実の生活には何の問題もありません。
初詣やお盆、お祭りといった年中行事も
儀式のひとつです。
それに伴う様々なこと、
例えば正月に餅を食べる、
ひな祭りにはおひな様を飾る、
こどもの日には鯉のぼりをあげるなども
すべて儀式としての行為です。
さらに、私たちはよく、
験(げん)を担ぐこともします。
これも儀式のひとつです。
試験の前日にはかつ丼を食べるとか、
ラッキーカラーを身につけて外出するとか、
試合に勝っているときは
ひげをそらないなどがそれです。
こうしてみてみると、
大なり小なり、
私たちは日常生活に
儀式をかなり取り込んでいます。
ではなぜ、私たちは儀式や形式を
大切にするのでしょうか。
それは気持ちの切り替えや
よい思い込みを強化したり
ネガティブな思いを
払拭する効果があるからです。
人は、思いを変えようとしても、
なかなか変えらものではありません。
しかし、何かしらの行動をすることで
思いを変えることは可能です。
そのひとつの方法が儀式なのです。
初詣に行って今年は頑張るぞ!と誓えば、
できるか否かは別としても、
気持ちの入れ替えは可能です。
このように儀式は思いや気持ちに
大きな影響を与える行為なのです。
私は医者になってから、
そのことの重要さに気づきました。
儀式として、先ず大切だなと思ったのは
聴診や打診といった身体に触れる診察です。
もちろん医学部の教育では、
身体的所見を取るための診察は
病気を診断するうえで、
とても重要だと教えられます。
CTやエコーといった検査機器がなかった時代は、
まさに医者の診察は、
病気を診断するうえで
大きな力を発揮したと思われます。
しかし現代はそうではありません。
かりに患者さんの身体に
一切触れることがなくても、
一連の検査をすれば
多くの病気は診断できます。
もちろん、風邪や急性腸炎、
急性扁桃炎や帯状疱疹のように
問診や視診だけで診断がついてしまう病気は、
検査をしない場合もありますが、
そうでない場合は、
何かしらの検査をすることになります。
つまり、聴診やお腹を触るといった
身体に触れる診察の有無にかかわらず、
多くの場合、検査結果によって
診断がつけられることになります。
そういう意味では聴診や打診は
医療において
全く不要なものとは言わないまでも、
必要不可欠なものとは
言えなくなってしまっています。
しかし患者さんは違います。
医者が聴診器を患者さんの胸に当てることで、
肺や心臓のちょっとした異常の有無を
素早く見つけてくれるのではという思いを
漠然と持っています。
お腹を触るのも同じです。
意味ありげに触れることで、
本人も気づいていないような異常を
いち早く発見してくれるのではと、
なんとなく思っているのではないでしょうか。
確かに、明らかな異常があれば、
打診や聴診だけでもすぐにわかります。
それを見つけるのが目的というのであれば、
それはそれなりの意味があります。
ただ、多くの場合、
特に安定している再診の患者さんなどは、
大きな異常がないため、
医者にとっての打診や聴診は
ほぼ儀式になっています。
でもそれが重要なのです。
診察の際、
一切身体に触れられなかったらならば、
病院に来たのに聴診器も当ててくれないと、
不満を漏らす患者さんも少なくありません。
特に昔の時代を知っているお年寄りはそうです。
医療には安心感や信頼感が必要です。
打診や聴診が仮に儀式や形式であったとしても、
患者さんからすれば、
ちゃんと見てもらって、
異常がないと太鼓判を押してもらったという
安心感が必要なのです。
打診や聴診といった診察は、
そんな安心感をもたらすための儀式として
医療においては必要なものなのです。
また白衣にも形式的な意味あいが
色濃くあります。
医療者からすると
白衣はユニフォームのようなものです。
もっとも、一般の人よりも、
血液や吐物に触れる機会が多いので、
そのような汚れから身を守るという
意味合いはあります。
ただし、外科や救急ならまだしも、
精神科医や心療内科医の場合は、
そのような機会はめったにないので、
白衣を着る意味はほとんどありません。
でも、多くの医者は白衣を着ています。
それは、清潔感や信頼感、威厳を
演出することができるからです。
また、患者さんからすれば、
白衣は権威の象徴です。
多くの患者さんは医者の前に出ると
かしこまりますし、
自分のことをすべて
お任せしようという気になります。
そのような信頼関係を築くためにも、
白衣を着ることは役立っているのです。
自分自身や相手の心理状態や心もちに
何かしらのよい影響を与えるのであれば、
たとえ儀式や形式であっても、
それは意味のあることなのです。