ブログ:麻薬もプラシーボ?
体のどこかに痛みがある場合、
通常は鎮痛剤を飲みますが、
「これが痛み止めですよ」と言って、
でんぷんの粉を飲んでもらったとしても
30~60%の人は頭痛が軽減することが
知られています。
この際のでんぷんの粉のように、
全く薬としての効果がないものを
「プラシーボ」と言い、
プラシーボで症状がよくなることを
「プラシーボ効果」と言います。
プラシーボは、日本語では
「偽薬」と訳されてしまったため、
どうしてもウソの薬を出して
患者さんを騙すという
ネガティブなイメージが付きまといます。
ちなみに中国語訳は「安慰剤」であり、
こちらの方が本質をとらえた訳になっています。
また「プラシーボ効果」という表現も
間違った言葉遣いです。
なぜならば、プラシーボを飲んでよくなるのは、
プラシーボそのものによる「効果」ではなく、
飲むという行為により
その人が安心感や期待感を抱き、
その心の状態が
身体的な変化をもたらした結果であり、
あくまでも体が引き起こした「反応」だと
考えられるからです。
ですから私はプラシーボ効果とは言わず、
「プラシーボ反応」と言うことにしています。
それはそうと、
医療現場では本当の薬ではないプラシーボを
患者さんに処方することは、
倫理的な問題があるため、
基本的には「やってはいけないこと」に
なっています。
そのため、私も患者さんに
プラシーボを処方することは
基本的にはありませんが、
「プラシーボ反応」を期待して
通常の薬を処方することはしばしばあります。
私が専門としている緩和ケアの場合、
がんの痛みに対して、
モルヒネに代表される医療用麻薬(オピオイド)を
頻繁に使用します。
一般的に、痛みが強くなれば、
投与する麻薬の量を増やしていきますが、
その量が多くなればなるほど、
頓服薬の麻薬も増量する必要があります。
しかし、慣れない医者が処方すると、
定期の麻薬が2倍、3倍に
増えているにもかかわらず、
頓服は最初の量のままということが
しばしばあります。
(麻薬の処方量には原則として上限はありません)
そのため、本来必要とされる頓服量の
1/2や1/3ということはよくあり、
時には1/10の量しか
処方されていないということもあります。
理論上は、その量では効かないはずなのですが、
しかし不思議なことに、
それでも、頓服を飲むと
痛みが和らぐという患者さんは
ごく普通にいます。
これはまぎれもなくプラシーボ反応です。
本来、効くはずのない頓服の量で
効いてしまうのですから、
頓服を飲んだという安心感や
これで痛みが和らぐという期待感が
実際に痛みを軽減している側面が
大きいと思われます。
その証拠に、
1日で使用する頓服量から計算し、
十分量の麻薬を定期分に上乗せしても、
痛みの程度はあまり変わらないのです。
このような患者さんは、
定期的に飲む薬よりも、
頓服の方が効くというイメージを強く持っており、
実際、そのようなことをよく言います。
また「コントロール感」も
関係していると思われます。
人は、自分で痛みが
コントロールできるという感覚があると、
それが安心感を生み、
実際、それで痛みが軽減することが
わかっています。
つまり頓服は、
患者さんが「コントロール感」を持つための
手段としての役割も果たしているのです。
このような安心感や期待感、コントロール感が
まさに「プラシーボ反応」の原動力に
なっているのです。
言い換えれば、患者さんが持っている心の力、
つまり「心の治癒力」が、
痛みを軽減しているということです。
麻薬が極端に少量であったとしても
「心の治癒力」としてのプラシーボ反応が
十分に機能すれば、
それで痛みが軽減されるというわけです。
この場合、頓服として使用しているのは
プラシーボではなく正真正銘の麻薬なので、
倫理的問題は何もありません。
もっともこの場合の麻薬は
「活性プラシーボ」と言われることもあります。
つまり、薬効のあるプラシーボです。
こんな経験から私は、
頓服を好む患者さんには、
敢えて少ない量の頓服を処方し
それを頻回に飲んでもらうということを
よくしています。
その方が、結果的には全体の麻薬量を
少なくすることができるからです。
もちろん、理想的には痛みがないことですから、
突発的な痛みが出現しないレベルまで、
十分量の麻薬を定期処方するのがよいのですが、
患者さんによっては、
必要以上に頓服を飲みたがる患者さんがおり、
また依存性の問題もあるため、
なかなか理想通りには
いかないというのが現実なのです。
がん性疼痛のような、
身体的な痛みであったとしても、
心と身体がつながっている以上、
不安や安心感、期待感や落ち込みといった
心の状態は少なからず、
身体に影響を及ぼすことになります。
そのあたりのことを十分に認識し、
患者さんを身体的存在としてではなく、
思いや感情を持った一人の「人」として
かかわっていく視点が
医者には必要不可欠であると
私は思っています。