長尾先生の講演の続きです。
話の中で特に面白かったのは、
認知症の患者さんへの対応でした。

最初に99歳の富子さんという
認知症の患者さんの映像を
見せてもらったのですが、
彼女は食事を手で食べていました。

誰かが介助で食べさせるよりも、
たとえ手づかみであっても
自分で食べる方が刺激になり、
自分らしさを出せるのでよいというのです。

長尾先生は在宅医療にも力を入れているので、
このような認知症の患者さんも
たくさん診ています。

この患者さんは要介護5であり、
一人では何もできませんが、
皆さんの協力のもと、
飛行機で沖縄旅行にも行きました。
とてもうれしそうにしているのが印象的でした。

認知症の患者さんも
できるだけ出歩いた方がよく、
徘徊も大いに結構と言っていましたが、
会場からは、
徘徊により周りの人に迷惑をかけたり、
事故にあったりするので、
それは問題ではないかという声がありました。
もっともな意見です。

それに対する長尾先生の答えも
なるほどなと思えるものでした。

確かに徘徊の問題は町の人たちにも
迷惑をかけることになりますが、
大切なのは、町ぐるみで認知症の患者さんを
援助しようという意識が大切だと言うのです。

以前、徘徊する認知症の患者さんが
JRの列車とぶつかるという事故があり、
それに対する損害賠償が
家族に請求されたことがありました。

これは裁判となり、
徘徊する患者さんが事故にあった場合、
その責任は家族にあるのか否かが争われました。

地方裁、高等裁では、
家族に責任があるという判決でしたが、
最高裁では逆転勝訴となり、
家族の責任は問われず、
社会に責任があるとの最終判決でした。

つまり、社会が認知症の患者さんを
守っていく仕組みを作り、
何かあった場合の責任は
社会が負うべきだということなのです。

そんな判決が出てからは、
様々なところで、
認知症の患者さんに対する取り組みが
町ぐるみで始まったというのです。

都市でどこまでできるかは疑問ですが、
今後増えてくる認知症の患者さんを
家族だけに押しつけるのではなく、
町全体で取り組むということを考える時期が
来たのかもしれないなと
話を聴きながら思いました。

最後に、安楽死と尊厳死の話について
書かせて頂きます。

安楽死や尊厳死については
様々なところで議論されていますが、
議論以前の問題として、
安楽死と尊厳死を混同している人が多いため、
話が混乱しているという指摘は
なるほどと思いました。

実際、新聞にせよニュースにせよ、
また有名人のインタビューでの発言にせよ、
安楽死と尊厳死の違いが理解されておらず、
尊厳死を安楽死と言っている場合も
多くあります。

安楽死はご存じのように、
医者または患者本人により、
死に至る薬を使って
意図的に死期を早めて死なすことです。
日本では、これは犯罪になります。

一方、尊厳死とは、
末期状態の患者さん本人が望んだ場合は、
不要な延命治療をせずに、
できるだけ苦痛のない
自然な最後を迎えることです。

緩和ケアで亡くなる患者さんは
当然のことながらすべて尊厳死です。

アメリカやヨーロッパでは
尊厳死は当たり前のことであり、
当然、法的にも整備がされています。

ところが日本では、
安楽死と尊厳死の混同があるせいか、
未だに尊厳死に対する法的担保がありません。

患者さんが尊厳死を希望しても、
それに従う義務は医者にはなく、
本人が望んでいない人工呼吸器などをつけ、
無理に延命させられる可能性が
あるということです。

このようなことがないように、
尊厳死を希望するという意思表示である
「リビングウィル」を作成して、
書面に残しておくことが必要です。

本来は、リビングウィルがあれば、
医者は無意味な延命治療はせずに、
穏やかな尊厳死を迎えられるはずですが、
日本にはその法的整備がなされていないため、
強制力がなく
最終的には医師の判断に任されてしまうのです。

この問題は、専門家の間で10年以上にわたり
議論が続けられていますが、
未だに法制化されていません。

尊厳死が法制化されていない国は、
先進国では日本だけだと、
長尾先生は嘆いておられました。

また、安楽死についても、
これを認めるべきだという人もいますが、
長尾先生は明確に反対されていました。

患者さんにも
死ぬ権利があるという意見もありますが、
本人が安楽死を望んでしまうような状況を
作らないように努力すべきだというのが
長尾先生の意見でした。
私もその意見に賛成です。

これからは超高齢化社会に突入し、
嫌でも在宅死が増えてきます。
そうなると点滴や薬の問題、
尊厳死や認知症の問題は
今後ますます重要になってくると思います。

皆さんも一度じっくりと
考えてみてはいかがでしょうか。