(前回より続く)
音羽病院から彦根市立病院に移り、
心療内科医から緩和ケア医になったのは
平成14年11月のことです。

このときから今日に至るまでの
16年6ヶ月の間、
緩和ケア医を続けていますが、
正直言って、こんなに長く
緩和ケア医をやるとは思っていませんでした。

前回も言ったように、
がんのホリスティックな
アプローチに関心があり、
緩和ケアはそのステップだと
考えていたからです。

そうは言いながらも、
全くの未知である緩和ケアの世界は
それはそれで面白いところがあり、
また、考えさせられるところも
たくさんありました。

緩和ケアの対象は
主に末期がんの患者さんであり、
心と身体の両面を診るとい意味では
心療内科と重なるところがあります。

しかし私の根底にある
ブリーフセラピーや
ホリスティック医学の視点とは
ずいぶんと異なるものを
感じたのは事実です。

例えば「痛みは我慢する必要はない」
「代替療法にすがるのはお金の無駄遣い」
といった、医療者が正しいと思っている価値観を
暗に患者さんに押しつけているという雰囲気が
あったのです。

私からすると、
患者さんの思いを大切にしつつ、
あとは現実的な側面を加味して
バランスを考えながら
やっていけばよいのではと思っていたのですが、
それがなかなか理解されない
ところがありました。

そんな、緩和ケアの考え方に対する不満?と
あらたな方向性を示したいという思いから、
平成17年2月に
「がんばらず、あきらめないがんの緩和医療」
平成23年5月には
「緩和医療と心の治癒力」を
築地書館から出版しました。

その一方で、
心療内科医はやめたものの、
心理療法に対する興味は失せることなく、
緩和ケア医になってからも、
やはり読む本といえば、
心理関係の本ばかりでした。

その時、ふと気づきました。
やはり私は心理療法が好きなんだと。

そう確信するようになってからは、
私のやっていたブリーフセラピーの実際を
セラピストや一般の人々にも
教えたいという思いが
どんどん強くなっていきました。

そして平成19年12月に、
ブリーフセラピーをベースとした
問題解決のためのコミュニケーションを教える
「ホリスティックコミュニケーション
実践セミナー」を開始しました。

そして平成26年1月には、
このセミナーを1冊の本にまとめた
『「心の治癒力」をスイッチON!』も
上梓することができました。

このセミナーは今も続いており、
私にとって、
最も充実感と楽しみとやりがいのある
取り組みになています。

受講生の中には、
ブリーフセラピーの視点を身につけることで、
仕事やプライベートをより充実させたり、
自分の才能を開花させ、
新たな道へと進んでいる人もいます。

このセミナーが、
参加者の新たな視点への目覚めや
自己成長を促す役割を果たせたならば、
私にとってこれに勝る喜びはありません。

さて、これとは別に
実は私には、平成30年史を貫いている
もうひとつの活動があります。
それがホリスティック医学協会の活動です。

私が大阪で様々な講師を呼んで、
ホリスティック医学に関する講演会などを
本格的に開催するようになったのが
平成元年5月からですので、
ホリスティック医学協会の活動は、
まさに私の平成の歴史でもあります。

ここから受けた影響や、
かかわることでつながりを持った人は数知れず、
それらは今の自分を築くための
礎であったと言っても過言ではありません。

このホリスティック医学の視点や考え方を
一人でも多くの人に知ってもらいたいと、
隔月に開催するホリスティックフォーラムは
先月で134回を迎え、
2年に一度開催するホリスティックシンポジウムは
14回を数えています。

過去、お呼びした講師や演者は、
河合隼雄、五木寛之、江原啓之、
心屋仁之助、茂木健一郎、
メンタリストDaiGo、等々
毎回、とても刺激的で
かつ学びの多い話を聴かせてもらいました。

ただ、30年にわたり続けてきた活動ですが、
ホリスティック医学の考え方が
一般の人々に知られているとは言い難く、
まだまだ努力の足りなさを
痛感せずにはいられません。

三回にわたり、私の平成30年史を
ざっと振り返ってみました。
お付きあい頂きありがとうございました。

こうして見てみると、
自分も多少は進歩したかなあと
それなりに思えたので
それが少し嬉しかったです。

皆さんの平成時代はいかがだったでしょうか。