平成も残すところあと9日となりました。
この機会に一度、自分にとっての平成は
何だったのかを振り返っておきたいと思います。

私が医者になったのが昭和62年でした。
ということは、研修医2年目の時に
平成元年を迎えたことになります。
つまり私にとっての平成は
医者としての歴史でもあります。

大学を卒業し、進路を決める際、
先ずはできるだけ短期間に、
できるだけ多くの臨床経験を
積みたいという思いから、
当時最もハードだと言われていた
大阪にある徳洲会野崎病院に
行くことに決めました。

もともと臓器別の医者になるつもりは
なかったのですが、
外科や救急医療を経験しておくことは
とても重要だと思っていたので、
ここで3年間かけて内科、外科、産婦人科、
小児科の研修をしました。

ここでの経験は、とても重要だったと思います。
当時から、心理には関心があったのですが、
救急医療や外科を通して、
身体的な治療の重要性も
経験的に学ぶことができたからです。

この経験があったからこそ、
心と身体のバランスの重要性を
より深く理解できたのではないかと
思っています。

また、その頃に設立された
ホリスティック医学協会に
かかわり始めたのをきっかけに、
ホリスティックな視点を中心に
物事を考えるようになってきたのもこの頃です。

ホリスティックな視点とは、
要するに「つながり」や「自己治癒力」の
視点を持って何事も見ていくということです。
この視点は今も私の根底にあります。

3年間の研修を終え、
いよいよ専門分野を決めようと思ったときに、
頭に浮かんだのが「ホリスティック医学」でした。

しかし、当時も今も、
ホリスティック医学が
しっかりと学べる施設などありません。

ただ単に代替療法をやっているだけとか、
スピリチュアルな治療を取り入れているのが
ホリスティック医学だと思っている医者も多く、
私が思い描いていた、
心と身体、環境といったものの「つながり」を
大切にした医療を実践し、学べるところが
なかったのです。

どうしようかと考え、
とある先生に相談したところ、
とりあえず心療内科を学びなさいと、
アドバイスされ、
それではということで関西医大心療内科
(当時は第一内科心療内科部門)に
入局することにしました。

心療内科医になるまで、
心には興味があったものの、
心理の勉強は大学時代を含め、
ほとんどしていませんでした。

関西医大に入ってからは、
目の前の患者さんと
毎日向き合う必要があったこともあり、
自分の興味の赴くままに
心理関係の本をたくさん読みました。

学んだことをすぐさま、
患者さんに使ってみるといったことを
繰り返していたのですが、
そんなことで患者さんがよくなるほど、
現実は甘くはありません。

結局、関西医大にいた1年の間に
私が受け持った入院患者さん14人は
一人もよくなることなく、
退院することになりました。

でも、これはこれでよい経験になりました。
ストレス疾患の患者さんを治療するに当たり、
付け焼き刃や小手先のテクニックだけでは
どうにもならないということを
学ぶことができたからです。

その後平成3年4月からは
九州大学心療内科に
1年間内地留学をさせて頂きました。

そこで心療内科医としての経験を
さらに積み上げていきたいという思いは
当然ありましたが、
その一方で、せっかく福岡に来たのだから、
この地でもホリスティック医学を
広めたいという思いも強く持っていました。

そこでホリスティック医学シンポジウムを
開催することを決め、
その準備や人集めを
ゼロから始めることになりました。

そして平成3年11月3日に
統合医療の創設者であるアンドルー・ワイルや
心療内科の生みの親である
池見酉次郎先生といった
錚々たるメンバーをお呼びして、
ホリスティック医学シンポジウムを
福岡の地で開催することができました。

この経験で私は、
ホリスティック医学という考え方を
もっとたくさんの人に知ってもらいたい、
ホリスティック医学を実践する医療者を
もっと増やしたいという思いを
より強く持つようになりました。
(続く)