ブログ:気持ちが折れると‥
よく気持ちが折れるという言葉を聞きますが、
これは、今まで張り詰めていた気持ちが、
何かの拍子にその緊張感が維持できなくなり、
まさに、木の枝がポキッと折れるように
心がいきなり萎えてしまう状態のことを言います。
心が折れると、当然気力はなくなり、
何もやりたくなくなってしまいますが、
それは身体にも影響を及ぼすことになります。
以前いた、ある肺がんの患者さんがそうでした。
この患者さんは頸椎に転移があり、
左手は動きませんでしたが、
右手はまだ動いていました。
しかしその右手も少しずつ動かなくなり、
物もつかみにくくなっていました。
ただ、会話は普通にできていたし、
車椅子に移乗させてあげれば、
1階の売店にも行ける状態でした。
その患者さんは自分の状態が
徐々に悪くなっていくのを自覚していたため、
あるとき、今の自分の状態が
どうなっているのかを知りたいので
CTを取って欲しいと言ってきました。
私は本人の希望を受け入れ、
CTを撮ることにしました。
もともとの病気は肺がんでしたが、
胸部の痛みや息苦しさはありませんでした。
私は症状から判断して、
頸椎への転移による上肢の麻痺は
明らかに進行していると思いましたが、
肺がんの方は、問題になるほどの進行は
ないのではないかと予想していました。
しかしCTを撮ってみると、
予想に反して、左胸には胸水が大量に溜まり、
真っ白になっていました。
本人にも、左肺に水がだいぶ溜まっていると
CTの結果を正直に伝えました。
ただ右肺は正常であり、安静にしている限り
それ程大きな問題はないという説明も
安心感を持ってもらうためにも
ちゃんとしておきました。
その段階では
特段、変わったことはありませんでしたが、
次の日から息苦しいと訴え始め、
酸素を開始することになりました。
さらに次の日あたりからは
痰が絡むようになり、
ゼロゼロという音も
聞こえるようになってきました。
もう早く死なせて欲しいとも言うようになり、
気持ち的にはだいぶ追い込まれているようでした。
そのため息苦しさや不安感を
和らげるような薬を使い、
しばらく様子を見ていたのですが、
状態は急速に悪化し、
私がCTの結果を説明した1週間後に
亡くなられました。
この患者さんの場合、
体調が次第に悪くなっていくのを感じながらも
何とか心の均衡を保っていたのですが、
私からCTの結果を聞いた後から、
いきなりその均衡が崩れたのがよくわかりました。
それまではとても落ち着いており、
状態の悪化に対しても、
だんだん悪くなることは仕方ないと思っていると、
冷静に受けとめてしました。
今までピーンと張りつめていた緊張の糸が、
CTの説明で事実を知った瞬間、
プチンと切れてしまい、
それが急速な呼吸状態が悪化として現れ、
1週間後の死へとつながったのではないかと、
思わずにはいられませんでした。
まさに心が折れるとは
このようなことなんだなと思いました。
この患者さんを見ていて、
フランクルの「夜と霧」の中に出てくる
ある話しを思い出しました。
強制収容所にいた人たちは、
日々誰かが死んでいくような、
そんな過酷な状況の中で、
いつかはここから出られ、
祖国に帰られるという希望を胸に
つらい毎日をなんとか耐え忍んでいました。
ある年のクリスマスが近づいた頃、
今年のクリスマスには戦争が終わり、
すべての人が解放されるという噂が流れました。
それを信じていたある青年は、
クリスマスの日を心待ちにしており、
自分は解放されたらどうしたいのか、
周囲の人にウキウキしながら、
明るく楽しげに話しをしていたのです。
しかし戦争が終わりそうな気配は全くなく、
クリスマスが近づくにつれ、その青年の明るさも
少しずつなくなっていきました。
そして、クリスマスが過ぎて間もなく、
その青年は亡くなってしまったというのです。
先程の肺がんの患者さんとこの青年は、
同じような心の変化によって
亡くなっていったのではと思ってしまうのです。
希望の思いを持ち続けることができれば、
状態が悪くても生きていくことは
ある程度までは可能です。
しかし、その希望が絶望に変わったとき、
つまり大丈夫という心の支えがなくなったとき、
たとえ体力的には余裕があったとしても、
人の生命力は一気に低下し、
階段を転げ落ちるように
死へと向かっていくのです。
そのため、患者さんへの説明には
いつも気を遣います。
この患者さんの場合も、
右胸は胸水で真っ白でしたが、
左胸はほとんど正常でしたので、
大丈夫ですと説明しています。
しかし彼にはその言葉は入りませんでした。
左胸は胸水でいっぱいになっているという
その説明で頭が一杯になってしまったのでしょう。
希望を支えることは大切ですが、
人の心はちょっとしたことでその支えを失い、
ポキッと折れてしまうものです。
このような患者さんに出会うたびに、
希望の大切さと、
それを失ったときに身体への影響の大きさ、
さらには説明の難しさを感じずにはいられません。