ブログ:原因探しの功罪
人は皆、多かれ少なかれ
悩みや問題を抱えており、
それをなんとか解決したいと思っています。
そのためには問題の原因を探し、
それを取り除けば問題は解決すると
考えている人が多いのですが、
それは必ずしもうまくいくとは限りません。
なぜならば、悩みや問題には
原因を見つける必要がある問題と、
原因を見つけようとしては
いけない問題があるからです。
前者は問題の原因が取り除ける場合です。
例えば、居酒屋をオープンしたが
なかなか集客できず
悩んでいるといった場合です。
このようなケースでは、
なぜ集客がうまくいかないのか
その原因を見つける必要があります。
ホームページでの宣伝の仕方がいけないのか、
メニューに魅力がないのか、
値段が高いのか、といったように
いくつかの原因が考えられます。
これはすべて対処可能なことなのです。
例えばホームページが問題なのであれば
プロの人にホームページの作成を
依頼するとかすればよいのです。
このようにモノ的なことが原因の場合は
対処が可能なので、
先ずは何が問題なのかをはっきりさせることが、
問題解決に必要不可欠となります。
一方で、自分は自信がないので、
もっと自信が持てるようになりたいとか、
些細な事で旦那と喧嘩をしてしまうので、
もう少し楽しく一緒に過ごせるように
なりたいといったような、心の問題の場合は
原因を見つけようとしてはいけないのです。
なぜならば、原因を見つけても
それが問題解決に全く役立たないどころか、
かえって有害ですらあるからです。
とたえば、自分に自信が持てないという場合、
その原因を探っていくと、
たいていの場合は、
小さい頃、親に「お前はダメだ」と言われたとか、
受験に失敗したとか、
みんなの前で大恥をかいたとか、
そういった過去のトラウマが「きっかけ」となり
自分に自信が持てなくなったということが
ほとんどです。
かりにこれらが原因だったわかっても
今さら、過去のことはどうすることもできません。
百歩譲ってそのような体験により
「自分はダメな人間だ」と
思い込んでしまったことが
自分に自信が持てない原因だとわかったとしても、
ホームページを作りかえるように
自分の思い込みや考え方を変えることなど
そう簡単にはできないのです。
夫婦の問題や人間関係の問題も同様です。
細かすぎるとか、優しさが足りないといったことが
喧嘩の原因だとわかったとしても
人の心はモノや部品とは異なり、
問題があるから取り換えましょうといって
問題のある心を
大からな心や優しい心に変えることなど
できないのです。
つまり、人の「考え方」や「性格」が
原因だと考えられる問題は、
いくら原因探しをしても
問題の解決には全く役に立たないということです。
役に立たないどころか、有害ですらあります。
なぜならば、原因探しをすることは結局のところ、
いかに自分は失敗を繰り返してきたのか、
いかに自分は短気なのか、
いかに相手は頑固なのかといった、
ネガティブな心の側面を再認識したり、
あらたな問題点に気づいたりするだけなので、
より一層自分を惨めな思いにさせたり
相手との関係をさらに悪化させるだけなのです。
そういう意味で、心の問題における原因探しは
かえって有害ですらあると言えるのです。
もちろん実際には、
原因に対処できるモノ的な問題と
対処できない心の問題とが
入り交じっているので、
話しはそう単純ではありません。
ただ、原因を明確にすることが
問題解決に至る唯一の道だと
思い込んでいる人にとっては
この二つの視点が入り交じっているのが
現実の問題だということに気づくことが
先ずは何よりも大切なことなのではないかと
常日頃私は思っています。