前回は、セラピストは詐欺師かという
テーマについて考えてみましたが、
今回は、人はみんなウソつきかということを
考えてみたいと思います。

これは西田文郎著、
『成功したけりゃ、脳に「一流のウソ」と語れ』
(大和書房)の本を読んだときの感想です。

西田先生は、
人間は皆、自分自身にウソをついているし、
人に対してもウソを当たり前のように
言っているというのです。
でも、これは私も納得できます。

例えば女性の化粧とかおしゃれは、
相手にきれいだとか、格好いいと
思ってもらうためのウソだと言うのです。

恋愛や結婚などを考えても、
お互いがよく思われようと、
ウソの振る舞い、ウソの言動、ウソの思いを
作り上げています。

さらには、就職試験の面接や自己アピール、
会議での自分の意見を通すための主張、
さらには、お世辞やほめ言葉にも
多分にウソが入っています。

都合の悪いことや人にばれたらまずいことは、
当然のことながら、
正直なことを語るなんてあり得ません。

医療でも政治でも教育でも、
どの世界でも
建前と本音があることからもわかるように、
人は日常的にウソを言っています。

また、目標に向かって頑張っている人も
自分はできる!自分ならやれる!と、
何の根拠もなく、
自分にそう言いきかせています。
これもたいていはウソです。
はったりと言っているだけのことです。

もちろん、目標達成のために
自分を騙し、その気にさせることは
悪いウソではありません。
自分を鼓舞し、一生懸命にがんばるための
原動力となるためのウソですから、
これは有益なウソだと言えます。

このように人はしばしばウソを言い、
ウソの振る舞いをし、
自分にもウソをつきます。

でもそれらが全部悪いわけでもありませんし、
中には必要なウソや有用なウソもあります。
自分を守るためや
人をかばうためのウソもあります。

つまり、人は意識的にせよ無意識にせよ、
ウソばかりついているということです。
でも、そのようなウソの多くは、
必ずしも悪いとは言えないウソなのです。

前回の話とも通じるところがありますが、
人を騙すためのウソはよくありませんが、
人や自分を救うためのウソは必要です。

人は楽しいことは積極的にしますが、
つらいことや苦しいことはしたくありません。
しかし、嫌なことやつらいことでも
やり続けなくては、
経験も積めませんし、成長もしません。

そんな、意に反して嫌なことする場合には、
当然ウソが入り込む余地が生まれます。
「自分ならやれる」「がんばればきっと上手くいく」
そういうウソを自分に言いきかせせることで
辛いことでもやっていけるという側面があります。

もし真実を自分に言ったらどうなるでしょう。
「やりたくないからやめよう」
「がんばってもどうなるかなんてわからない」
「自分がうまくやれるという保証などどこにもない」

こんな言葉を自分に投げかけて
がんばれる人はそう多くはありません。
ですから、人は無意識にウソをつきますが、
それは必要なウソである場合が多々あります。

「私はウソはいいません」などという人は、
その意味では、ウソつきなのです。
ウソをつかない人などいないのですから。