傾聴だけでは問題は解決しない
傾聴はカウンセリングの基本であり、
これを蔑ろには決してできません。
しかし、傾聴だけしていても
一向に悩みや問題が解決しないというケースもよくあります。
とにかく話を聴いてほしいという人には
傾聴だけでも十分に対応できるかもしれませんが、
「どうして自分はうまくいかないんだろうか」
「どうしたら今も問題が解決できるのだろうか」
といった思いを持っている人にとっては、
いくら話を聴いてあげても、解決策が見つからない限り、
今の状況からは抜け出すことができないのです。
このように「なぜ」「どうして」「どうしたら」という思いを持ってる人の場合、
傾聴から 一歩踏み込んだアプローチ が大切になってきます。
必ずしも共感できるとは限らない
よく受容と共感が大切だと言われますが、
人によっては、共感できない人も当然います。
例えば、上司に怒られて落ち込んでしまったというのであれば、
十分にその思いに共感できますが、
上司に怒られて頭にきたので、その上司を殴ったと言う人がいたら、
あなたはその人に共感できますか?
このように自分の価値観と、人の価値観は異なるのが普通であり、
なかには非常識と思われる価値観や行動をとる人もいます。
そのような場合には、当然共感はできませんし、
また共感する必要もありません。
「心」と「頭」で話を聴く
このように共感できない話を聴くと、
つい自分の価値観と照らし合わせ、
「この人の間違った考え方に気づかせてあげなくては」といった、
余計な思いを抱きがちです。
しかしそのような思いでかかわる限り、
決して信頼関係を築くことはできません。
ではどうしたらよいのでしょうか。
共感できない人の話は「頭」で聞けばよいのです。
つまり「この人は怒られたら人を殴ってしまうような、そんな人なんだな」と
客観的な事実として受けとめればそれでよいのです。
それを「心」で聴いてしまうと、
反発や疑問、怒り、不安といった感情が出てきてしまうため、
その人をどうしても受け入れられなくなってしまうのです。
ですから、共感できる話は「心」で聴き、
十分に共感し受容してあげたらよいのですが、
共感できない話は「頭」で聞く ことで、
その人を客観的に受けとめあげたらたらよいのです。
「オウム返し」の功罪
よくカウンセリングでは「オウム返し」の重要性が言われます。
例えば、クライエントが「すごく辛かったんです」と言うと、
それに対してカウンセラーが「すごく辛かったんですね」と返すのが
「オウム返し」というテクニックです。
このように、言った言葉を返すことで、
自分が共感していることが相手に伝わり、
相手も「自分のことをわかってくれた」という思いを持ってもらいやすくなるため
このテクニックは相手との信頼関係を築く上でとても重要だと言われています。
確かに、これはうまく使えば、
相手との信頼関係を十分に築くことができますが、
その一方で大きな問題もはらんでいます。
それは「わざとらしい」ということです。
最初のうちは、相手も「自分のことをわかってくれたんだ」という思いになり、
ますます色々な話をするようになりますが、
あるとき、ふと
「あれ、また私の言っている言葉を繰り返している」と気づかれた瞬間、
一気に、信頼関係は崩れます。
なぜならば、今まで本当に共感してくれていたんだと思っていたのに、
ただたんに言葉を繰り返しているだけなんだとわかってしまった瞬間、
「オウム返し」の「わざとらしさ」が気になって仕方なくなるからです。
こうなってしまうと、もうカウンセリングどころではありません。
当然のことながら、信頼関係もなくなります。
ですから「オウム返し」も上手に使えば、とても有用なテクニックなのですが、
マニュアル的に使ってしまうと、返って信頼関係を失うことになるので、
ここは気をつけなければいけません。