ブログ:がん告知について
一般の緩和ケア病棟では
がん告知されていない患者さんの受け入れは
できないというところが一般的です。
でも、私の病院は
未告知のがん患者さんも
受け入れるようにしています。
そのため本人に、
がん告知をする必要に迫られることも
あります。
私のがん告知に関する考え方は
緩和ケア医になったころと、
今とではずいぶんと変わってきました。
以前は、がん告知は
積極的にした方がいいと思っていました。
未告知の患者さんの大半は、
家族が告知はしないでくれと主治医に頼み、
そのため病名を知らないまま
緩和ケア外来を受診したり、
緩和ケア病棟に入院になったりします。
そんな患者さんの余命は
たかだか数ヶ月程度です。
だからこそ、
残された時間はそう長くはないという
認識を持ってもらい、
人生最後の時間を
有意義に過ごしてもらうためにも
がん告知は必要だと考えていました。
一方、告知を希望しない家族は、
告知をしたら本人がショックを受けるから
しない方がいいと考える人が
ほとんどでした。
確かに1980年代までは
がん告知はしないというのが原則でした。
告知をすることで落ち込み、
かえって死期を早めると
考えられていたからです。
実際、私が医者になった頃も
告知はしないのが当たり前であり、
抗癌剤治療も未告知のまま
行なわれていました。
しかしその後、厚労省は日本医師会から
告知の必要性が言われるようになり、
1990年前後では15%程度であった告知率も
2016年の調査では94%にまでなりました。
ですから今はほとんどの人に
がん告知はされています。
今は「がん=死」ではなく、
治るがんもありますし、
10年以上も生きられる人もいるので
治療を続けるためには
がん告知は必要だという考え方に
変わってきたのです。
しかしその一方で、
末期がんの告知は別です。
すでに手術はできず、
やれるとしても延命目的の
抗癌剤治療だけであり、
それもできない状態であれば
緩和ケアに紹介されることになります。
つまり、末期がんの告知は
死刑宣告と同じだということです。
治る可能性があるがん告知と
治る可能性のない末期がん告知とでは
自ずと意味が変わってきます。
たとえそうだとしても、
残された時間を
有意義に過ごしてもらうためには
末期がんであったとしても
告知をすることは重要だと考えていました。
そのため今までは
緩和ケア病棟に入院してきた
末期がん患者さんに対しては
できる限りがん告知をしていました。
ところがその考え方が
長年、現実を見ているうちに
少しずつ変わってきたのです。
頭がしっかりしており
自分の意見も持っているような人には
ちゃんと告知をする必要があると思います。
ところが緩和ケア病棟に入院する患者さんの
平均年齢は80歳近くであり、
90歳代の人も2割近くいます。
そんな高齢の患者さんの場合、
たとえ未告知であったとしても、
自分の寿命はそう長くないと
感じている人がほとんどです。
そうであれば家族が望んでいないがん告知を
無理にしなくてもよいのではないかと
思うようになったのです。
末期がんの告知をする意味は、
人生最後の締めくくりとして、
その人なりの有意義な時間を
過ごしてもうためです。
つまり、残された時間が
そう長くはないということが
伝わればよいのです。
そうであれば、
あえて「がん」という言葉を使わなくても、
年も年だしとか、老衰といった言葉で
そう長くないというメッセージは
十分に伝わると思ったのです。
がんでももうじき
亡くなるかもしれないと言われるのと、
年も年だしそろそろ
お迎えが来てもおかしくないと
言われるのとでは、
ずいぶんと印象が違います。
ですから、未告知の患者さんが
私はどうなるんでしょうと聞かれたら、
今は、年も年だしといった説明をしながら
やんわりと余命が短いことを伝えています。
もっとも残された時間が短いと言われ、
そうであれば、
やり残したことをやらねばと言って
何かに取り組むという人は
実はそう多くはありません。
年齢が60代、70代で、
それなりの仕事や活動を続けてきた人ならば
出版予定の本を書き上げたいとか、
注文を受けている帽子だけは
すべて作り上げたいと
言っていた人はいました。
しかし80代、90代になるとその大半は、
ごく平凡な日常を過ごしていることが多く、
改めてやり残したことはと言われても、
特にそのようなものはないと言う人が
ほとんどです。
このような現実を経験するにつけ、
高齢者の人で家族ががん告知を望んでおらず
本人からも病気について
積極的にたずねてこないのであれば、
あえて言わなくてもいいのではと
考えるようになったのです。