ブログ:彼女の夢に驚いた!
(前回から続く)
彼女は4回の入退院を繰り返しましたが、
ときには精神的に追い詰められ
病院に電話がかかってくることも
ありました。
その原因は母親との関係性からくる
ストレスです。
彼女は小さい頃から
全く手のかからなかった子どもだったと
母親は言っていました。
一方、本人は小さい頃から
母親に言葉の暴力を受けており、
早くここから逃げたいという一心で、
高校卒業後すぐに海外留学をしています。
彼女が小さいときに父親とは離婚しており、
ことある毎に「お前さえ生まれなければ」と
言われていたといいます。
そんな彼女ですが、
性格は明るく穏やかであり、
友達もたくさんおり、
入院中は彼氏もよくお見舞いに
来てくれていました。
しかし段々と状態が悪くなり、
自分の死を意識するように
なってきました。
そんな折、私はある質問をしてみました。
「もし健康やお金に全く問題がないとしたら
最後の1ヶ月はどんなことをして
過ごしたい?」
すると彼女は、仲のいい友達と
南の島にいってたくさん楽しみたいと
嬉しそうに語っていました。
友達を大切にし、
仲間と一緒にいることが
一番の楽しみという彼女らしい答えでした。
さらにもうひとつ質問しました。
「では、最後の1週間だったら何がしたい?」
実は、こちらがメインの質問です。
この質問に答えてもらうことで
自分が本当に大切にしていることは何かが
わかるのです。
すると彼女は意外なことをいったのです。
「お母さんと一緒にいたい」
私は一瞬、聞き間違えたかと思いましたが、
確かにそう言ったのです。
自分はお母さんに
優しくしてもらったことがないので、
最後は優しくしてもらいたいし、
私も甘えてみたいというのです。
ここには書くのも
はばかられるような言葉を
何度も母親から投げつけられ、
その度に傷ついた彼女から、
泣きながら電話がかかってきたのも
一度や二度ではありません。
入院しているときも、
いかに母親が
ひどい人なのかということしか
私は聞いたことがありませんでした。
そんな彼女の口から
最後の一週間はお母さんと一緒に
いたいという言葉がでてきたのですから
驚かないはずがありません。
でも裏返せば、
母親のぬくもりや愛情を
ずっと求め続けていたという
ことでもあります。
だからこそ最後の最後くらいは
母親に優しくしてもらい、
自分も甘えたいという夢を
叶えたいと思ったのでしょう。
彼女の病状は日に日に悪くなり、
トイレに行くのもやっとで、
食事もほとんど
食べられなくなっていました。
そんな状態であったにもかかわらず
退院したいと言うのです。
できたらそのまま最後まで
家にいたいということも言っていました。
これが家で過ごす
最後の時間になるだろうことは
彼女も感じ取っていたのだと思います。
なんとか彼氏の車で家まで送ってもらい
無事退院をすることができました。
数日以内にまた戻ってくるだろうと
予想していたのですが、
再入院をしたいという電話があったのは
それから10日後のことでした。
心も身体ももう限界だから、
入院して早く逝かせて欲しいと言うのです。
そのため、
その日のうちに再入院となりましたが、
まだなんとか話ができる状態でした。
家ではどうだった?と聞くと、
とてもよかったと言うのです。
「お母さんがすごく優しくしてくれた。
ご飯を食べさせてくれたり、
着替えさせてくれたり、
脚をなでてくれたりして、
とてもうれしかった‥」
普通の人にとっては
ごく当たり前の母親の行動でも
彼女にとっては
初めて感じた母親の愛情だったのかも
しれません
そんな母親に
ずっと甘えていたかったのでしょうが、
彼女の気遣いがそれを許しませんでした。
トイレに付き添ってもらうために
夜中に母親を起こすのが申し訳なく、
我慢して失禁してしまい、
結局、後始末を母親にしてもらうことに
罪悪感を抱いていたようです。
決定的だったのは、
再入院の前日の晩に
嘔吐してしまったことです。
その後始末も黙々と母親が
やってくれたのですが、
それを見て、
もうこれ以上迷惑をかけられないと思い、
翌朝に入院させて欲しいと
連絡してきたのです。
入院後、初めて母親が付き添ってくれたので
家での様子を聞くことができました。
母親は言っていました。
この子は全く手のかからない子で、
それをよいことに、
今まで母親らしいことを
ほとんどしてきませんでした。
でも、今回は身の回りのお世話が
たくさんできて私も嬉しかったんです。
きっとこの子は、
そんな時間を作るつもりで
最後の力を振り絞って
家に戻ってきたんだと思います。
その話を聞いて、
この親子は最後の最後に
お互いの夢を叶えたんだと思いました。
普通の人にとっては
日常のごく当たり前なことでも
この親子にとっては
初めて過ごす至福のときだったのかも
しれません。
彼女は再入院の7日目に
静かに息を引き取りました。
授業ではこんな話をしながら、
緩和ケアの実際を
感じ取ってもらっています。
なんとも切ない願いでした。
その願いを叶えるための代償が癌だとは…。
来世では素直に愛情表現が出来ることを切に願います。
私も、私の家族との向き合い直した方が良さそうです。