ブログ:面会制限を考える①

5月24日に同志社大学で開催された
「病院、施設の面会制限を考える」という
シンポジウムに参加してきました。

コロナ前までは
ごく普通にできていた面会ですが
コロナになってからは面会制限が
かなり厳しくなりました。

例えば家族二人までとか、
1日1回15分以内といった具合です。

最もひどいときは、
亡くなりそうな親族にも
面会が許されなかったり、
コロナ感染者の遺体は納体袋に包み、
遺族等でも遺体に触れるのは
控えるよう求められたりしました。

また、葬儀場でも参加者の人数制限が
されていました。

私の母親はコロナのまっただ中の
令和3年11月に亡くなりました。

最終的には私の病院の
緩和ケア病棟で亡くなったので、
私が看取りました。

緩和ケア病棟は私の責任で
面会制限をかなり緩めたので、
何ら問題なく子どもたちも
全員会うことができました。

ところが葬儀場は
そうではありませんでした。

私の家族は当時、
息子たちの嫁や孫を含め
9人いました。

火葬する前には
お坊さんにお経をあげてもらうのですが、
そのときには家族全員が部屋に入れました。

最後のお別れをし、
係の人が棺を火葬炉に入れるのを見届け、
その後1時間程度、
私たちは控え室で待機していました。

火葬が終わり、
遺骨を拾って骨壺に入れる作業の段階で
とんでもないことを言われました。

遺骨を拾いに入れるのは
5人までですと言われたのです。

ところが私と妻、
それに4人の子どもがいるので
最低でも6人になります。

5人までということは
そのうちの誰か1人は
遺骨を拾うことは許されないということです。

コロナ感染で様々なことに
制限がかかっていたとはいえ、
5人はよくて6人はダメというのには
何ら科学的根拠はありません。

とりあえずこれくらいでと
決められた人数に過ぎないのです。

その場所は、先ほどまでお坊さんも含め
10名以上の人が一堂に会して
お経をあげるのを聞いていたところです。

なぜ、遺骨を拾う段階になると
急に5人までの人数制限になるのか
全く意味不明でした。

私はその言葉に異議を唱え、
6人全員で遺骨拾いに参加しました。

終了後、係の人が怒りを抑えつつ、
「今日は隣がいなかったので許しましたが、
隣がいたら絶対に許可できませんから」と、
捨て台詞を吐かれました。

思い出したらムカムカしてきたので
つい書いてしまいましたが、
要は面会制限の弊害が様々なところで
出ていたということです。

そんなゴタゴタがしばらく続いた後、
令和5年3月13日からは
屋内外を問わずマスクの着用は任意となり、
同年5月8日からは
コロナ感染症の位置づけも
「2類」から「5類」になりました。

つまりコロナは通常の風邪と
同類に位置づけられたのです。
(風邪はなぜか5類に格上げされたので)

年末年始やゴールデンウィークの人の移動は
以前と同じ程度に戻り、
外国人観光客もコロナ前よりも増え
過去最高となりました。

こうして世の中はコロナ前の状態に
戻っているにもかかわらず、
病院や介護施設だけが感染予防を理由に
未だにコロナ時と同じような
面会制限をしています。

いったいこれはどういうことか、
今後も面会制限を続ける必要があるのか、
その点について考えようというのが
今回のシンポジウムの目的です。

メインの講演は
文化人類学者の磯野真穂さんでした。

磯野さんは緩和医療学会でも
話を聞きましたし、
彼女の本も読みました。

磯野さんは、一番の問題は
面会制限が感染予防になるという
科学的根拠がないにもかかわらず、
ルール化されてしまったことだと
言っていました。

ルール化するのに
科学的根拠は不要なのです。

実際、コロナの頃は
飲食店でのパーティションの設置が
ルール化されていまいた。

しかし実際は
パーティションを設置する方が
感染が広がりやすくなるという研究結果が
出たにもかかわらず、
日本ではコロナが「5類」になるまで
このルールは変わりませんでした。

私が時々行くセブンイレブンでは
未だに汚くなったビニールカーテンが
貼られたままになっています。

人との間隔を2メートル空けるという
「ソーシャルディスタンス」もそうです。

それを言い出したアメリカの
国立アレルギー感染症研究所の元所長
アンソニー・ファウチ博士は
ソーシャルディスタンスには
何ら科学的根拠はなく、
単なる思いつきで言ったことが
ルールになってしまったことを、
昨年1月のインタビューで述べています。

そんな科学的根拠がないことでも、
ルール化されてしまうと
それが習慣として身についてしまい、
なかなかやめることがで
きなくなってしまうのです。

まさにこれは
「現状維持バイアス」による弊害です。

ある先生がどこかで
面会制限は日本の文化にすべきという
発言をしたそうですが、
磯野さんはこれには強く反対していました。

なぜならば面会制限は
人権侵害を伴うからです。

今も面会制限をしている病院のほとんどは
家族以外の面会を許可していません。

人によっては家族よりも
友人の方がつながりが強いという人も
いるはずです。

にもかかわらず、
その友人に会えいというのは
人権侵害にもなりうる話です。

ですから磯野さんは、
感染対策は人権侵害を伴うので
文化やマナーにしてはいけない、
もっと科学的な根拠を持って判断すべきだと
強く訴えていました。

もっともなことです。
(続く)

ブログ:面会制限を考える①” に対して2件のコメントがあります。

  1. 遠藤玲子 より:

    医療関係の方々がこのように考え、取り組んでくださっていることがわかり、少しうれしくなりました。本当にそのとおりです。人権侵害だと思います。家族ではなくてもかけがえの無い人はいます。

  2. holicommu より:

    遠藤さんへ
     ご賛同いただきありがとうございます。

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