ブログ:意思で痛みがコントロールできる?

先日も大学で授業をしてきました。
学生たちの反応や質問はユニークで
よい刺激になります。

前回は
「プラシーボ反応と心の治癒力」という
話をしました。

プラシーボ反応は、
無意識レベルで反射的に生じる思いや感情が
自然治癒力(体の治癒力)に影響を及ぼし、
その結果、症状が改善されるという
現象のことです。

ですから、
プラシーボを飲んで痛みが軽減するのは
「これで痛みはとれる」といったような
はっきりした認識があって
そうなるものではないのです。

あくまでも
無意識レベルの心の状態が重要であり、
意識レベルの思いは二の次なのです。

ですから、
頭では「痛みは軽減しないのでは?」と
懐疑的な思いを持っていたとしても、
無意識レベルで「よくなるかも」と
期待感を思っていたならば
痛みは軽減するのです。

だいぶ昔にテレビで見たのですが、
水晶のネックレスをつけるとそのパワーで
今まで挙げられなかったバーベルが
挙げられるようになるという実験が
行なわれていました。

この実験をした人は、
水晶パワーなど信じておらず、
バーベルが挙げられるとは
思っていないと言っていましたが、
実際にやってみると挙がり、
本人も驚いていました。

これなどは明らかに
プラシーボ反応によるものです。

本人は挙げられないと
意識していたにもかかわらず、
無意識レベルでは「挙がるかも?」という
期待感を抱いていたからだと考えられます。

こう考えると、
意識よりも無意識の方が影響力が大きいため
意思で痛みをコントロールすることは
できないように思われます。

ところが今回の学生の質問は
これに対する疑問でした。

つまり、意識的な働きかけにより
無意識レベルに影響を及ぼし、
痛みをコントロールすることも
できる気がするのですが、
その点はどうかという質問でした。

なかなかよい質問だと思います。

答えを言ってしまうと、
「ハイ、できます」となりますが、
実際にしようとすると、
そう簡単ではありません。

痛みがあるときには、
嫌だなあ、楽になりたいという思いや
不快やイライラといった感情が伴いますが、
これらはすべて自然に湧き上がってくる
無意識レベルの反応です。

これらの思いや感情を打ち消すために、
「痛みなどない!」とか
「ハッピー」といった思いを
持とうと思っても、
そんなことできません。

そんな思いを持とうとすればする程、
うまくできない現実に直面することになり、
より一層イライラがつのり、
痛みが増すだけです。

ですから、意思をもって
無意識レベルの思いに抗おうとしても
それはうまくいきません。

そうではなく、
無意識レベルの思いや感情に
巻き込まれないようにするのです。

そのためには
痛みやそれに伴う思いや感情を
客観視するようにすればよいのです。

例えば、
「自分は今、痛みから解放されたいと
思っているんだなあ」と認識し、
「今、自分はイライラして、
しかめっ面をしているなあ」というふうに
あたかも自分の思いや感情を
他人事のように客観視して眺めるということを
「意識的」にするのです。

このように自分の思いや感情を
第三者の視点から眺める行為を
意識的にすることができれば、
無意識レベルの感情に
巻き込まれずにすみます。

巻き込まれずにいられれば、
自分と痛みが一体化するのを避けられ、
痛みを切り離して眺めることができるので
コントロールしやすくなるのです。

このように「意識的」に
痛みやそれに伴う思いや感情から距離を置き
客観視することができるようになれば
痛みの程度も明らかに軽くなってきます。

もちろんじっとしてやるのもよいのですが、
他のことを「意識的」にやることで
気を紛らわすという方法も有効です。

私たちもたとえ頭痛があっても
やらざるを得ない仕事で
バタバタしているうちに
いつの間にか頭痛がよくなったという経験を
持っている人はいると思います。

つわりのときの吐き気なども
じっとしているよりも
動いている方がいいというのは
そのほうは吐き気の症状に
巻き込まれなくてすむからです。

つまり、
自分が夢中になれる行動に取り組んだり、
痛みやそれに伴う感情に
巻き込まれずにすむ状態を
意識的に作り出すことができれば、
痛みを「意識的」に
コントロールできるというわけです。

今回の学生に質問を通して、
また一つ自分の考えが
まとまった気がします。

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