ブログ:言語化はよいことか?

大学で講義をしていると
学生の予想もしていなかった反応に
思わず考えさせられたということも
少なからず起こります。

先日の授業で、私は本を書いてから
セラピーが下手になったという話を
しました。

なぜ下手になったかというと、
それまでは無意識レベルで
相手の反応や思いを捉え、
それを基にその都度どうしたらよいのかを
考えながら対応していました。

ですから患者さん一人一人の
それぞれの違いなどにも目を向け
それに基づいて治療の方向性を
決めていた気がします。

このときは、
患者さんの思いを丸々受け止めながら、
個々に添ったやり方で対応していたのです。

本を書くことになり、
今までしていたことや考えていたことを
言語化することで、
自分はこんなふうに考えながら
やっていたんだということに
そのとき初めて気づきました。

つまり、今まで自分がやっていたことは
意識的にしていたわけではなく、
それぞれの患者さんの状況に応じて
無意識レベルの作業でしていたのです。

ですから、
何でそんなことをしたのかと言われても、
そのときにふと思いついたからとしか
言いようがありません。

多分、その患者さんの思いや状況を
トータルに捉え、
無意識の中に蓄えられている
知識や経験を駆使して、
その都度、こんなことをしたら
いいかもと思いついたことを
やっていたのだと思います。

ところが、本を書くという作業で
それらの考えや思いが言語化され、
自分の考え方やアプローチの仕方の
大まかな筋道が見えてしまった結果、
個々の違いやその人らしさに基づいた
きめ細やかなかかわりが
なくなってしまったのです。

つまり、患者さんの話を聴きながら、
これは過去のどの解決パターンに
当てはまるのかを
探すだけになってしまったのです。

これは患者さんが
主体であるかのように振る舞ってはいますが
実はすでに私の中にある考えを
暗に当てはめていただけだったのです。

これでは患者さんに寄り添った
きめ細やかな対応などで
きるわけがありません。

ですから、
突然セラピーがうまくいかなくなったのは
当然と言えます。

ところが学生の反応は違っていました。
ある学生は、自分の実践を振り返えると
言語化することで臨床力の向上につながると
感じていたというのです。

これはどういうことなんだろうかと、
あれこれ考えました。

最終的にたどり着いた結論は
以下の通りです。

この学生は大学院生と言いながらも
まだ経験はそんなに豊富ではありません。

臨床経験がゼロのセラピストが
患者さん(クライエント)と
関わるのであれば、
何をしたらいいのか
全くわからないと思います。

ところがある程度臨床経験を積み、
段々とやるべきことが見えてくると
これは明らかに進歩だと言えます。

この際に必要になるのが
言語化という作業なのかもしれません。

基本を学び、
それをクライエントに実践し、
さらに自分がしたことを言語化することで
自分がやろうとしていたことや
自分が実際にやったことが
はっきり認識できるからです。

そうすることで
基本的なパターンが身につき、
少しずつ上手になっているという実感が
持てるのではないでしょうか。

要するに、初期の段階では
自分のやっていることを言語化することで
基本が身につき明らかに進歩が見られます。

しかし、ある程度経験を積んでくると、
応用も必要になってきますし、
より細かい部分にも目を配りながら
対応していく必要もありますが、
これにはマニュアルがあるわけでは
ありません。

自分の知識と経験をもとに
その都度、どうしたらよいのかを
考えないといけないないのです。

当然、様々な工夫も必要になってきますが、
それもある程度の基本があるからこそ、
応用も可能になってくるのです。

ですから初期において
基本的なパターンや考え方を
身につける段階と、
そこからワンランク上の段階に進むのとでは
学び方が大きく変わっても
不思議ではありません。

守破離という言葉をご存じでしょうか。

これは、最初は指導者の教えに従って
それを学び身につけ、
次の段階ではその教えを破り、
最後はここから離れ、
独自の道を進むという意味の言葉です。

つまり、成長するためには
教えられたことにこだわり続けるのではなく
一度それを破り捨て、
自分なりの新たな道を切り開いてこそ
成長があるのです。

私の場合だと、心理療法の基本を
本やセミナーで学んだことが「守」であり、
それを臨床場面で実際にためしながら、
自分なりのやり方を作り出しいったのが
「破」になるのだと思います。

ところが、本を書いて
自分の考えていることが言語化され、
パターンが見えてしまったことで
再び「守」に戻ってしまった気がします。

つまりそのパターンに固執してしまった結果
応用したり細かなことにも配慮するという方向に
目が向かなくなってしまったのです。

今回の学生のレポートを見ながら
そんなことを考えていました。

ブログ:言語化はよいことか?” に対して2件のコメントがあります。

  1. ゆか より:

    セラピストの成長段階をこのように書いていただき、ハッとしました。
    やっているうちに、進んだような気がするのは最初の段階で、慣れてくると昔に戻ったような気がしていました。
    それは基礎に慣れてきたから入れた応用段階で、その中でまた自分のやり方やクライアントにとって役立つことを模索しているからかなと感じました。

  2. holicommu より:

    多少なりとも役立って何よりです。成長すると言うことは今までの自分を壊すことにもなります。
    少しずつ前に進めばそれでOKです。

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