ブログ:「甘え」という言葉は英語にはない
私たちは「怒り」や「喜び」、
「恥」、「恐れ」といった情動語は、
同じものを意味していると思われがちですが
実際はそうではありません。
さらに言うならば、
すべての言語が
「情動」それ自体に対応する言葉を
持っているわけでもないのです。
例えば英語には
2000以上の情動語がありますが、
マレーシアのチェウォン語などは
情動語が少なく、
中には7語しかない言語すらあります。
当然のことですが、
各言語に翻訳する場合、
適切な言葉がない場合もしばしばです。
例えば「怒り」と「悲しみ」は
英語でも日本語でも
明らかに異なる情動だということで
区別されていますが、
ウガンダのルガンダ語では、
この両者は区別されることなく
ひとつの言葉で表現されています。
またタヒチ語には
「悲しみ」に対応する言葉がなく、
それどころか、
悲しみという概念そのものが存在しません。
様々な言語における情動語を調べてみると
ほぼすべての言語において
一対一で対応する言葉があるのは
「快さ」だけでした。
一方で「不快」という言葉は
70%の言語にしか見られず、
「愛」は33%未満、
「喜び」と「恐れ」は20%、
「怒り」と「誇り」は15%未満の言語にしか
見つけることができなかったのです。
つまり情動の概念は
言語によって異なるということなのです。
日本語の「甘え」という言葉を見ても
そのことはよくわかります。
「甘え」は日本文化に
深く根づいた言葉です。
「甘えっ子」だとか
「甘えてばかり」といったように
日常生活でもごく普通に使われます。
ところが英語には
「甘え」に相当する言葉がありません。
日本人からすると
子犬でも甘えるのに
なぜ英語にはないのか不思議に思いますが、
これが文化圏による
情動概念の違いなのです。
要するに「甘え」という概念は
アメリカ文化の見方にそぐわないので
存在しないのです。
ただし、「甘え」に相当する言葉はなくても
「甘え」の意味を理解することは可能です。
例えば「甘える」という言葉は
「depend on(~に頼る)」、
「甘やかす」は「spoil(ダメにする)」と
訳すことができます。
しかしこれらの英語訳には
日本語にあるような
ポジティブな意味あいや温かみは
含まれていません。
こうしてみると、
日本人が経験によって構築した
「甘え」という概念を、
他の文化圏の言葉で言い表すのは
なかなか難しいところがあるのです。
また、異文化に接することにより
情動概念に変化が生じることも
知られています。
例えば平均的なベルギー人と
アイシェ(トルコ系二世のベルギー人)が
同じ情動を持っているのかを調べた
研究があります。
これは授業中、おしゃべりをしていたため
教師に叱られ、退席されたという場面を見て
どう感じたかを調査したものです。
平均的なベルギー人の場合、
怒りを覚えると同時に
誇りも感じていました。
これは教師の叱責に対して
自分にもプライドがあるという思いを
抱いたのではと思われます。
一方、アイシェは
ある程度の怒りを感じるのは
平均的なベルギー人と同じですが、
同時に敬意や恥も感じていました。
これは、教師にもっと
敬意を払うべきだったという思いが
反映されていると思われます。
つまり、同じ状況に置かれたとしても
平均的なベルギー人とアイシェは
抱く思いが異なるということです。
このような研究から、
第一世代の移民は、
その文化で暮らす一般的な人と比べ
抱く情動が異なるのですが、
世代を追うごとに抱く情動は
その文化の人々と同じようになるということが
わかってきました。
こうして見てみると、
情動は心の中に固定的な存在として
あるのではなく、
人間関係やつながり、文化の中で
形成されるものだということが
よくわかります。
また、言語により同じ「悲しみ」でも
意味が異なる場合もありますし、
異文化に触れることで
変化することもあります。
2月10日のブログ
「心が在るのは人の内側それとも外側?」でも
書いたように、
表情分析学では基本的な情動、
例えば「怒り」とか
「悲しみ」といった情動を抱いたときの表情は
万国共通だと言います。
しかし、この本を読んで、
そんな固定的な情動など
ないと思うようになりました。
興味のある方は
バチャ・メスキータ著、高橋洋訳、
「文化はいかに情動をつくるのか」
(紀伊國屋書店)を読んでみて下さい。