ブログ:「怒り」は正しい情動?間違った情動?
前回は欧米人はMINE型情動タイプが、
日本をはじめとするアジア人は
OURS型情動タイプが
中心だという話をしました。
MINE型情動タイプは、
情動を人の内側にあると考え、
内面の感情を表現することは
美徳と見なしています。
逆に、他者や状況に合わせて
情動を抱くことは不自然であり
過酷だと考えています。
一方、OURS型情動タイプは
情動は自分の内側にあるのではなく
他者との関係性の中に存在すると
考えています。
ですから自分の内面にある感情、
例えば怒りを表現するのは
未熟さの証だと取られることが多いのです。
また、状況や規範、期待や役割に合わせて
行動するのが普通であり、
当然それに伴って情動を抱きます。
他の言い方をするならば
MINE型はインサイド・アウト(内から外)型
OURS型はアウトサイド・イン(外から内)型
ということになります。
よく情動(感情)表現とか
情動(感情)を抑制するといった
言い方をします。
これは情動は個人の内側にあるという
前提での言葉ですので、
MINE型情動モデルに
基づくものであることがわかります。
OURS型情動モデルでは、
人と人との間でなされる行為に
情動が存在しているため、
固定された情動などはなく、
人との関係性の中で変化するものだと
とらえているのです。
ではなぜ、
このような違いが生まれたのでしょうか。
それは子育ての考え方や
同じ文化圏で暮らす他の人々によって
吹き込まれた結果だというのです。
つまり情動は私たちの心の奥底から
湧き上がってくるのではなく、
特定の文化のもとで
繰り返し経験することで
条件付けられた結果なのです。
例えば日本では、
幼児はたいてい「甘え」を感じる存在として
とらえられています。
日本では甘えを
情動のひとつとして認識しています。
母親は子供の甘えを受け入れ、
お返しに子供には「思いやり」、
つまり共感を教えています。
この「思いやり」は、
日本の文化では尊重され、
調和のとれた人間関係の
核心をなすものなのです。
ところが母親が甘えを受け入れる対応を
アメリカ人が見ると、
子供のどんな願いも聞き入れて
子供をダメにしていると
映るのだというのです。
アメリカ人の養育の目的が
自立できるしっかりした子供を
育てることにあるのに対し、
日本人のそれは、他者の視点から
物事を見られる感受性の高い子供を
育てることにあるといいます。
もちろんすべてのアメリカ人、
すべての日本人の親がそうとは限りませんが
各々の文化に基づく親の考え方は
そのような傾向にあると言えます。
また「正しい」情動と「間違った」情動も
文化圏により異なります
正しい情動は、
その文化圏で重視される人間関係を促進し、
間違った情動は禁じられた人間関係を
助長することになります。
つまり文化や社会環境に違いにより、
生まれる情動が変わるということなのです。
例えば「怒り」ですが、
怒りが正しいと見なされれば、
日常生活において怒りが頻繁に発生し、
間違っていると見なされれば、
まれにしか発生しません。
調査によると
アメリカ人は日本人に比べ
日常生活で怒りやすいようです。
例えば交通渋滞に巻き込まれるとか、
家庭内でいさかいが起きたときなどに
多かれ少なかれ怒りを感じます。
状況の悪化のせいで
理想の追求が妨げられると、
アメリカ人は責任の所在や不公平を
見出そうとします。
一方、日本人は
自らの欠点について反省し、
困難を克服しようと
努めることが多いのです。
誰かから不当な扱いを受けた場合、
アメリカ人は、
〈そんな扱いを受けるいわれはなない!〉
〈黙って屈辱に耐えるつもりもない!〉
〈何様だと思っているんだ!〉
といった具合に怒りを感じます。
一方の日本人は、
自分を守ろうとはしますが、
人間関係が損なわれるのを避けるために
利己的な行動や幼稚な行動はしないよう
心がけようと思い、
自分に誤りがあれば謝るし、
そうでなければ何もしないのです。
この場合のアメリカ人の怒りと
日本人の怒りは、
同じ情動なのでしょうか?
OURS型情動モデルの視点に立つならば
いかなる怒りも他の怒りとは
全く同じだとは見なしません。
怒りは、
支配的立場にあることを主張したり
権利や自立を強調する文化においては
「正しい」情動だと見なされます。
一方、人間関係の調和を強調する文化では
「間違った」情動だと見なされます。
このように怒りといった情動ひとつとっても
文化や状況、立場に応じて
様々に異なった道筋をたどるのです。
(続く)