ブログ:「やる気」よりも「行動」と言うが…
今年の入ってからの一ヶ月は
社会に対する怒りを
ずっとぶつけてしまっていたので、
今月はもう少し穏やかに
いこうかと思います。
先日、習慣力セミナーの
二日目がありました。
コツをつかんで、
しっかり前進していた人もいれば、
行動よりもやる気を優先させてしまい、
なかなか前に進まない人もいました。
習慣化の第一歩は
ほんの小さな行動です。
「よしやるぞ!」などという思いは
一時的であり、
時間が経てばすぐに萎えてしまいます。
ですからやる気に頼っていたのでは
いつまで経っても習慣化はできません。
逆に、小さな行動であれば
「それくらいならできそう」と思えるので、
すぐさま行動に移せるのです。
私が始めた机の上の片付けなどは、
「指1本で机の上のホコリを拭う」を
小さな行動に設定したところ
続けることができるようになり、
今では机の上はいつもきれいです。
もっとも、ほんの小さな行動は、
これくらいならできると思える行動なので、
慣れてくると物足りなくなってきます。
いや、慣れるも何も私の場合は
最初から机の上を拭いたりしていたので、
きっかけとなる思い、
つまり、指1本で机の上のホコリを
拭えばOKという思いさえ持てれば、
あとは自ずと行動は広がり、
「もう少しやってみよう」という気にも
なってしまうのです。
そんなことを説明しながら
セミナーをしていたとき、
ふと気になったことがありました。
心と行動という視点から考えた場合、
果たして本当に行動の方が先で、
後から心(やる気)が
ついてくるのだろうかと思ったのです。
ものごとを習慣化するためには
まずは「行動」が先であり、
その後から「やる気」がついてくると
今までさんざん言ってきました。
この場合の「やる気」とは、
心の状態であり「思い」の一種です。
もちろん一般的な理解では、
心が先で後から行動がついてきます。
何かをやりたいという思いがあるからこそ、
やるのであり、
やりたいと思わなければ
当然、行動には移さないからです。
この意味では確かに
心が先で行動が後からついてきます。
ただしこれは、
「やりたい」と思うことであり、
運動や片付けといったことを
習慣化したいという場合は、
本当はやりたくないけども
やれるようになったらいいなと
思えることです。
つまり、やりたいことではなく、
「やらなければいけない」と
思っていることなのです。
頭では「やりたい」と思いながらも
内心では「やりたくない」と
思っているのです。
当然、そのようなことを
「やらなければならない」という
偽りの「やる気」を持ったとしても
実際の行動にはなかなか結びつかないことは
容易に察しがつきます。
一方、「これくらいならできそう」と思える
小さな行動を設定した場合は、
できそうだと思っているのでできますし、
続けることも可能です。
小さな行動でも続けていれば、
次第にもう少しやってみようと
思えるようになり、
最終的には自分が身につけたいと
思っている行動が身につくのです。
この場合は「やる気」ではなく、
「これくらいならできる」という
「思い」です。
同じ心の状態なのですが、
「やる気」と「思い」は全く異なります。
「やる気」は積極的な前向きさを伴う
心の状態ですが、
「これくらいならできる」は、
中立に近い心の状態であり、
前向きな思いに僅かに傾いている程度の
心の状態です。
そんな些細な思いであっても
できるという思いが伴っている限り
行動に結びつくのです。
だからこそ、
「これくらいならできる」と思った
小さな行動であれば、
実際に行動に移せるのです。
こう考えると、
やはり行動が先ではなく、
心が先だと思ったのです。
「これくらいならできる」という
思いがあるからこそ
行動につながるのであり、
その思いがなければ行動には
つながりません。
今までは行動が先だと
さんざん言っていましたが、
これはあくまでも方便であり、
インパクトのある言い方をすることで
記憶にとどめやすくなるという効果を
狙った言い方だったということになります。
ですから正確に言うと、
やる気があるから行動するのではなく、
「それくらいならできる」という思いが
あるからこそ行動する、
ということになると思います。
習慣化に関して言うならば、
やはり、行動よりも「思い」の方が
先にあるように思いました。