ブログ:無意識にアプローチするとは

私は以前から無意識に
とても興味を持っていました。

ここで言う無意識とは、
幼少期の体験といった
ほとんど意識化されない
深いレベルの無意識のことではなく、
気づきやひらめきといった、
比較的意識に上ってきやすいレベルの
無意識のことで、
精神分析では
前意識とか下意識と呼ばれるものです。

このレベルの無意識には
多くの情報や知識、経験が蓄積されており、
それを元に私たちは色々なことを考え、
判断し決定しているのです。

さらに、それらがつながることで
「気づき」をもたらし、
その人のものの見方や考え方、
人生観や価値観、死生観を形成していく
原動力ともなっています。

そうして形成された
自分の思いや考えも、
さらなる気づきにより
修正され、変更され、
グレードアップしていくのです。

つまり私たちの考えや価値観は、
無意識レベルで繰り返されている
大小さまざまな気づきの積み重ねによって
日々変化しているのです。

そうであれば、
この無意識にアプローチすることで、
新たな気づきや判断を促し、
よりよい方向に
歩んでもらうということも可能です。

では、ここで言う
無意識にアプローチするというのは
どういうことなのでしょうか。

これは自分の思いや考えが、
知らず知らずのうちに
自分にとってプラスになる、
もしくはマイナスになるような方向に
向いてしまうようなアプローチを
するということです。

例えば、試食コーナーで
お菓子を味見させるというのも
無意識へのアプローチです。

客は買うつもりがなかったお菓子を
知らず知らずのうちに
買ってもいいかという気に
させられているからです。

心理療法では、
相手がついよい方向に
目を向けてしまうような問いかけを
するという方法があります。

例えば、不安が強い人や心配性の人、
悩みや問題を抱えている人は
無意識にネガティブな情報に
目を向けてしまいがちです。

自分に自信がないと思っている人は
過去にあった自信を失うような体験を
思い出しがちですし、
誰かに褒められたりしても、
「たいしたことはない」と言って、
素直に受け入れられないものです。

このような人は、
自分のネガティブな側面ばかりに
目を向けるクセがついているので、
ポジティブなことに
目を向けてもらおうとしても
そう簡単ではありません。

ではどうしたらいいのでしょうか。

それは、無意識レベルにある
ポジティブな情報に
目を向けざるを得ないような
質問をすればいいのです。

それが前提を含んだ質問です。

自分に自信がないという人に
「自信が持てたときはありますか?」などと
たずねてしまうと、
自分は自信がないという思い込みがあるため、
あっさりと「そんなことはありません」と、
答えられてしまう可能性が高いのです。

そうではなく、
「今までで多少なりとも
自信が持てたのはどんなときでしたか?」と
たずねるのです。

これが前提を含んだ質問です。

つまり、自信が持てたことがあるという
前提のもとで質問をしてしまうのです。

さらに「多少なりとも」という言葉を
つけることとで、
ほんの少しでも自信が持てたときがあれば
それでよいというメッセージが伝わります。

そうすると、
知らず知らずのうちに、
自信が持てたときの経験を
無意識にある情報の中から
探し出そうとしてくれるのです。

人は前提を含んだ質問をされると、
その前提が正しいと思ってしまう
クセがあるので、
これを利用するのです。

テレビなどで、
「なぜこの化粧品は売れているのか?
それは…」と聞くと、
「売れている」という前提を疑うことなく、
その理由に意識が向いてしまうのと同じです。

このような言い方をすることで、
無意識レベルに
この化粧品は売れているという情報を
いとも簡単にすり込むことができるのです。

このように前提を含んだ質問をすると、
無条件にその前提を受け入れ、
それを元に無意識の中から
答えとなるものを
探し出そうとしてくれるのです。

その結果、
「そういえば、クラシック音楽は好きなので、
その話をしているときは少しは自信が
持てている気がします」といった
ポジティブな答えが返ってくるのです。

このような質問に答えてもらうことで、
無意識レベルに埋もれていた
自分にとってのポジティブな情報に目が向き、
それを意識化することで、
自信に関する小さな気づきを得ることが
できるというわけです。

    ブログ:無意識にアプローチするとは” に対して1件のコメントがあります。

    1. なお より:

      私の自信は、歩くことでしょうか。車がないと生活できない地域に住みだして、一時期、歩かなくなり、また、歩いている人も少なかったけれど、関西に住んでいたときは、何時間も山を歩いて爽快だった記憶がよみがえり、今は、時間があると、早朝から1時間ほど歩いています。お宮の階段が1番の難所ですが数分で上がれてしまいます。たまに猪や鹿を見たり、草や木の名前を調べたり、種を持ち帰ったりと、楽しく歩くことができます。人混みが苦手な私にとって、人と会うこともなく、歩けることもストレス無くできます。健康は歩くことから。

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