ブログ:「巻き込まれる」を考える
前回お話しした読書会では
参加者の皆さんからも
いろいろな意見や感想をいただきました。
その中で、どうしたら患者さんに
巻き込まれずに対応ができるのかといった
質問もありました。
「巻き込まれる」というのは、
患者さんとのやりとりによって、
こちらの感情が大きく動かされ、
イライラしてしまったり、
逆になんとかしてあげたいと
強く思ってしまったりしてしまう
状態のことを言います
もちろん人間ですから
全く感情が動かないということは
ありません。
たとえ感情が多少動いたとしても
客観的な視点で見たり考えてたり
できていればそれでよいのです。
そのためには「心で聴く」よりも
「頭で聴く」ことの方が大切になります。
つまり、
「この人の言っていることはおかしい!」と
そこに価値判断を加えて聴くのではなく、
「この人はそう思っているんだな」と、
事実をそのまま受け止めるという聴き方が
大切になってくるということです。
ここには、良いとか悪いとかいった
価値判断が入っていないため、
不信感やイライラを感じるといったように
感情が動かされるようなことがありません。
だからこそ冷静で客観的に
全体を見ながら今何が必要なのかを
判断することができるというわけです。
このような聴き方をしている限り、
相手に巻き込まれることはなく、
こちらの判断も
適切に下すことができるのです。
ただ、現場はそう簡単ではありません。
多くの患者さんはさほど問題はなく、
通常の対応をしていても
巻き込まれることはほとんどありません。
しかし、中には様々な方法を通して
治療者を巻き込もうとする
患者さんもいます。
例えば大暴れするとか、
リストカットするとか、
激しい身体症状をしばしば訴えてくるとか、
ひっきりなしに電話をかけてくるとか
その方法は人それぞれです。
しかし、このようなことがあると
誰もが「困ったなあ~」、
「いい加減にしてほしい」と
思ってしまうのが普通です。
実は、この段階ですでに
「巻き込まれている」と言えます。
もちろん、患者さんはこれらのことを
意識的にしているのではなく、
無意識レベルの思いが
このような行動を
引き起こしているのです。
例えば、「もっと私を見て!」
といった無意識レベルの心理が、
その背景にあったりします。
しかし、相手の思いに寄りそうことが
大切だからといって、
そんな患者さんの思いに従っていたら
こちらが潰れてしまいます。
事実、私の患者さんが、
あるセラピストのところに行きました。
そのセラピストから私に
「彼女が来た」と報告がありました。
私は彼女を診ていた経験上、
巻き込まれてひどい目にあうことが
十分に予想されたため
「かかわらない方がいい」と忠告しました。
しかしそのセラピストは、
何とかできると思ったのでしょう、
私の忠告を無視して
一生懸命にかかわってしまったのです。
その結果、
そのセラピストの心身はボロボロになり
私生活にまで影響を来すほどに
追い詰められてしまいました。
このような、
人を巻き込むことが上手な患者さんの場合、
よほどこちらが注意をしてかかわらないと
えらい目にあうことになるので、
ここは適度な距離感が必要になります。
実際、彼女の治療をする場合、
私は「枠」をつけるようにしました。
どういうことかと言うと、
外来での30分の再診では
しっかりと向き合います。
しかしそれ以外の時間に
苦しいから診て欲しいと言われても
一切診ませんでした。
電話もしばしばかかってきました。
しかし、1回5分、週に2回までで
それ以上は受けないと約束をし、
その約束を盾に、
5分経ったら無条件に電話を切り、
3回以降の電話には一切でませんでした。
また失声の症状が出現し、
全く声が出なくなったときもありました。
当然、そのときは筆談になるのですが、
このときも「筆談だと誤解が生じる」という
理由をこじつけて、
声が出るようなるまでは診ないと言って
突っぱねました。
彼女の無意識のメッセージは
「声も出なくなったかわいそうな私を
もっと診てください」というものです。
それに乗ってしまうと巻き込まれ、
主導権を相手に
渡してしまうことになります。
だからこそ、理由をこじつけ、
声が出るようにならなければ
診てもらえないという思いを
持たせたのです。
すると、じきに声が出るようになり、
再び診察が始まりました。
実はこれは「失声」の治療にも
なっているのです。
もちろん、
すべての「失声」の患者さんに
このアプローチが
通用するわけではありません。
でも、彼女のようなタイプの場合、
少々強引なやり方でもしない限り、
すぐに巻き込まれてしまい、
相手のいいように振り回されてしまうので
このあたりは割り切りが必要になります。
主導権を患者さんに与えるのではなく、
あくまでも主導権は
こちらが持つという姿勢が
このような患者さんの場合には
必要なのです。
ご無沙汰しております。
ここ最近の、「読書会シリーズ(?)」、興味深く拝読しております。
私も、ケースによっては、主導権への姿勢や視点が特に大切になると思っています。
人によっては冷たいと受け取られそうですが、Thが自分だけを守るということではなく、Clの方ご自身も巻き込まれている(と推測される)感情のグルグルを避ける(抜ける)手段だと思いますし、そのように説明したりもします。
(いっぽうで、巻き込まれの結果としての主導権へのこだわりにならないよう、気を付けないといけないですが・・・)
これからも、先生のブログをきっかけにいろいろ、自分自身を振り返っていきたいと思います!
山田さん、コメントありがとうございます。プロに言っていただけるとうれしいです。