ブログ:写真を撮るときくらいマスクを外しませんか
マスクの着用は室内外を問わず、
任意となってから1年半が経ちましたが
多くの病院などでは
未だにマスクが外せない状態が
続いています。
政府の発表でも、
病院や高齢者施設でのマスクの着用は
推奨ではありますが、
義務でも強制でもなく、
あくまで任意です。
にもかかわらず、
ほとんどの病院では
マスクの着用は半強制であり、
マスクをしていないと
マスクを着用するように
注意されるありさまです。
世の中はだいぶコロナ前の状態に
戻ってきたような気がしますが、
病院だけは以前の状態に戻れないでいます。
多分、病院内でのマスクの着用は
「永久」に続くと思われます。
一度、始めてしまったことを
元に戻すというのはハードルが高く、
かつ、今の状況に慣れてしまうと、
何か大きな問題が生じない限り、
今の状態を続けようとする
「現状維持バイアス」が働くからです。
さらにここに「万が一病」や
「ゼロリスクバイアス」の心理が
重なります。
これは、万が一マスクの着用を任意にして
コロナの感染が広がったら
どうするつもりだという思いが強くなり、
不可能だとわかっていながらも
リスクを完全にゼロしない限り
安心できないという心理です。
そのため、少なくとも病院内では
マスクは外すべきではないという思いに
なってしまうのだと思います。
インフルエンザの流行期も
新型インフルエンザで病院が混乱したときも
無症状の人はマスクをしていませんでしたし、
受付の人ももちろんしていませんでした。
それでも全く問題ありませんでしたが、
その貴重な経験は完全に無視されています。
病院でマスクなしで過ごせる時代は
もう戻って来ないかもしれません。
100歩譲って
病院でのマスク着用は仕方ないとして
私がことのほか不快に思うのは
マスクをしたまま写真に写ることです。
緩和ケア病棟では
毎月何かしらの催しをします。
それ以外にも栄養科の協力のもと、
年に数回「いのちのスープ」を
提供しています。
各部屋の患者さんのところに回り、
スープを提供するのです。
このさい、必ず記念撮影をします。
当然私はマスクをせずに
撮影に臨みますが、
ナースはマスクを外しません。
昔はマスクをしながら写真と撮るなどという
非常識きわまりないことをする人は
いませんでした。
しかし今は病院内で
マスクをはずすことが非常識に
なってしまったのです。
コロナ騒動により
すべての人がマスクの着用を
強要されていた時期ですら
写真を撮るときには
マスクを外してもいいと言われていました。
当然です。
写真を撮る一瞬くらいマスクを外しても
感染の拡大には全く関係ありません。
しかし今は違います。
マスクは任意になったのです。
そうであれば、
病院内であったとしても、
写真を撮るときくらいマスクを外しても
よいのではないでしょうか。
病院の食堂でもテーブルの並びは元に戻り
以前のようにみんなが向かい合って座り
おしゃべりをしながら
食事を楽しんでいるくらいですから、
マスクを一瞬外すことくらい
全く問題ないはずです。
しかし、なぜか写真を撮るときも
マスクを外そうとはしません。
仕方なく、
マスクは外しましょうと言うと、
皆さん、他の人の顔色をうかがいながら
こわごわとマスクを外して
写真に収まるという始末です。
余命幾ばくもない患者さんとの
最後になるかもしれない写真くらい
マスクなしの素顔で
写ってもらいたいものです。
もっとも、
感染予防という表向きの理由のもと、
自分の素顔を見せたくない、
化粧をするのが面倒など、
本来的な理由ではない理由で
マスクを着けている人もいます。
これなどもマスク社会によって
人の心が歪められてしまった結果であり、
自然体を大切にしている私にとっては
悲しい限りです。
世界中を見回しても
マスクをし続けている人がこんなに多い国は
日本だけではないでしょうか。
日本人は完全に洗脳されてしまった感があり
将来が不安でなりません。
事実、何ら安全性が確認されていない
新型コロナウイルスに対する
レプリコンワクチンの定期接種が
10月1日から始まります。
これを開発したアメリカや
大規模な治験を行なったベトナムでも
未だに認可が下りていなこのワクチンを
世界で唯一、日本だけが認可したのです。
なぜそんなワクチンが認可されたのか
全くもって謎です。
実際、この不可解な決定に対して
日本看護倫理学会は
今年の8月に日本の学会として初めて、
レプリコンワクチンへの懸念を
緊急声明として発表しました。
→こちらを参照
日本人のお人好しさを
とことん利用してやれという
つもりなのでしょうか。
私たちもこの異常さに
そろそろ気づいても
よいのではないでしょうか。