ブログ:自由意志などない!

久しぶりに池谷裕二著
「単純な脳、複雑な私」(ブルーバックス)
を読み返しました。

令和2年3月20日のブログでも
この本の内容には触れましたが、
他にもたくさん面白い話があり、
今回はそのうちの
「自由意志はない」という話を
させていただきます。

これは結構、有名な話です。

例えば、
自分の右手を上に挙げるという動作を
したとしましょう。

この際、
脳が右手を挙げろという指令を出し、
信号が神経を伝わり筋肉に達すると、
その結果、右手が挙がるわけです。

当然、その前提として、
手を挙げようという「意思」があるから、
手が挙がるわけです。

その意味では、
自由意志は存在することになります。

しかし、実際はそうではないことが
脳科学では証明されています。

どういうことかと言うと、
脳の活動を調べてみると、
「手を挙げよう」と思う前に、
すでに脳の活動が起こっているのです。

つまり、「意思」を持つ0.5秒くらい前に、
すでに脳は、
手を挙げようと思っていることを
知っているかのように、
手を挙げる準備をし始めるのです。

要するに、脳が準備をしてから、
手を挙げようという「意思」が
生じるということです。

ただ実際には、
自分が手を挙げたという行動を見て、
その行動が自分の思い通りならば、
自分は「自由意志」で手を挙げたと
思い込んでしまっているだけのことです。

この事実からすると、
実は、自由意などはなく、
すべては脳に操られ、
「そう思わされている」だけだったと
いうことになります。

これはとても奇妙なことです。

なぜならば、もしそうだとしたら
他人に対して「バカ野郎!」と
叫んだとしても、
これは、その人の意思ではなく、
脳が仕向けただけであり、
その人が悪いわけではないということに
なってしまうからです。

ただ、たいていの場合は、
「バカ野郎」と叫ぼうとしてもぐっと抑え、
冷静な対応をしようとするものです。

実は、ここがポイントなのです。
脳は確かに「バカ野郎」と叫ぶ準備をし、
その後に、叫ぼうという意思が生じます。

しかし、実際の脳の働きを見ると、
脳が叫べという指令を出す準備をしてから、
実際に叫ぶとう行動を取るまでには
約1秒のギャップがあります。

この間に、叫ぶのを思いとどまり、
気持ちをぐっと抑えて沈黙するとか、
その場から立ち去るといった行動に
切り替えることはできるのです。

要するに、
行動をやめるという選択をする自由は
あるのです。

その意味で、自由意志はありませんが、
「自由否定」はあるのです。

私たちは、
脳の中でいろいろな思いを抱きます。

もう死んでしまおうと思った人も
それなりにいると思います。

もちろん、
実際の行動に移してしまう人もいますが、
ほとんどの人は、思いとどまり、
自殺をせずにすみます。

しかし、そんな思いを
持ってはいけないと言われても、
自然と湧き上がってきてしまうものは
仕方ありません。

でも、たとえどんな思いであっても、
それを実行に移しさえしなければ、
何もなかったのと同じです。

ここからは私の考えですが、
手を挙げようという思いが出る前に、
脳は準備をし始めるのですが、
実は、そのとき無意識レベルで、
何かしらの反応が
起こっているのではと思うのです。

しかし、まだ無意識レベルですから、
意識されることはありません。

でも、無意識レベルでは
手を挙げるという行動を取ろうと
思っているからこそ、
脳は準備をし始めるのではないのでしょうか。

その意味では、
自由意志はあることになりますが、
これを自由意志と言うのか、
「自由無意識」というのか微妙です。

多分、習慣的な行動や
知らず知らずのうちにしている行動は
すべて「自由無意識」による
反応なのではと思うのです。

こんな話をすると、
今度は、無意識とは
何かということになりますが、
この問題は、実は脳の神経細胞の
「ゆらぎ」の話につながってきます。

それについては
次回お話させていただきます。

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